61 情報のつながり
61.1 主題のつながり
61.2 語句のつながり
61.3 情報の構造
61.1 主題のつながり
61.1 主題と段落
61.1.2 無題文の役割
61.1.3 主題文と無題文の交替
61.2 語句のつながり
61.2.1 反復・代用形式
61.2.2 省略
61.2.3 文脈指示語
61.3 情報の構造
61.3.1 新情報・旧情報
61.3.2 視点
61.1 主題のつながり
「主題」について、文章の中でのその役割を考えてみましょう。
「Nは」は、文の中ではその主題として「主題-解説」の構造を作ります。
このことは前に述べました。そして、文章の中では、主題のつながり・転換に
よって文章の流れを作ります。
また、無題文の挿入は、主題の流れを断ち切ることによって「語り」のリズ
ムを作ります。このことを、具体的な例で見てみましょう。
61.1.1 主題と段落
「自己紹介」の例で見たように、主題は文のつながりを緊密にし、段落を形
作るために重要な役割を果たします。もう一度段落ごとに見てみましょう。
第一段落は、「わたし」を主題にした文で構成されています。
┌──────────────────────────────┐
│1. わたしはマナです。今年の4月にタイのバンコクから来まし │
│ た。今、日本語学校の学生で、19才です。 │
└──────────────────────────────┘
最初の文の「わたしは」が、第二、第三の文までかかり、独立した三つの文
というより、1+0.5 + 0.5(主題+解説、+解説、+解説)という、半独立
の文の連続です。(ここで、日本語の「文」の特質、言い換えると、その定義
の問題も浮かび上がってきますが、それはここでは論じないことにします)
このような場合は、接続詞は特に必要ないようです。「順接」だからといっ
て、「そして」を入れればいいというわけではありません。
?わたしはマナです。そして、今年の4月にタイのバンコクから
来ました。そして、今、日本語学校の学生で、19才です。
第二段落では、新しい主題を立て、「日本語学校は」として、二つの文をま
とめています。「わたし」の話から「日本語学校」に話題が移ったのです。
┌───────────────────────────────┐
│2. (わたしの)日本語学校は東京にあります。あまり大きくない │
│ ですが、新しいです。 │
└───────────────────────────────┘
第三段落も日本語学校の話ですが、補語としての役割が「Nが」から「Nに」に移っ
ています。
┌───────────────────────────────┐
│3.(日本語)学校には、いろいろな国の学生が60人ぐらいいます。│
│ インドネシアの学生もメキシコの学生もいます。みんなわたしの │
│ いいともだちです。 │
└───────────────────────────────┘
「日本語学校」という単語の一部分「学校」だけでも、同じものを指してい
ると解釈されるので、同一主題とみなされます。(これは「反復」の一例です)
第三段落の途中で、話が「学校」からそこにいる「学生」に移っています。
「みんなわたしの~」はもちろん「(その)学生たちは」という、省略されて
いる主題の説明です。
┌───────────────────────────────┐
│4. 学校のそばに学生のりょうがあります。わたしたちは、毎日し │
│ ょくどうでいっしょにごはんを食べます。テレビもしょくどうで │
│ いっしょに見ます。 │
└───────────────────────────────┘
元の文では、さらに第四段落で「りょう」に話を移そうとしていましたが、
そこでの話はむしろ「りょう」で「わたしたち」が何をするかという話なので、
「りょうがあります」として、新しい場所を導入するだけでいいでしょう。
次に、「私たち」を主題として、その習慣的行動を述べる文が続きます。そ
うすると、「りょうがあります」の前後の文は、「学生たち」-「わたしたち」
という意味の近い単語を主題としていることになりますから、「りょうがあり
ます」という文はない方が前後の結びつきが強くなります。例えば、
・・・みんなわたしのいいともだちです。
わたしたちは(学校のそばの)りょうのしょくどうで毎日いっ
しょにごはんを食べたり、テレビを見たりします。
とすると、前の文の主題は「その学生たち(かれら)」で、後の文はそれに「わ
たし」を加えた「わたしたち」となり、主題の交替が自然なものになります。
┌───────────────────────────────┐
│5. わたしは毎日あさからばんまで日本語をべんきょうします。け │
│ れども、日本語はとてもむずかしいです。ですから、わたしはま │
│ だ日本語があまりじょうずではありません。 │
│6. わたしは数学もべんきょうします。わたしはらいねんの4月に │
│ 大学へ行きます。そして、大学で数学を専門にべんきょうします。│
└───────────────────────────────┘
第五、第六の段落は再び「わたし」を主題とした文が続き、「自己紹介」と
しての内容にあったものになっています。「わたし」に始まり、「学校・学生」
に話が移り、「学生」はすなわち「わたしたち」であり、最後に「わたし」に
話が戻ります。
以上のように、互いに関連した主題の連鎖が文章を形作る基本となります。
ただし、これは「自己紹介」という「わたし」をめぐって話が展開する文章な
ので、特に主題のつながりが密接なものになっています。
61.1.2 無題文の役割
では、「無題文」の役割は何でしょうか、別の例で考えてみましょう。
┌──────────────────────────────┐
│ 昔、浦島太郎という若者がおりました。太郎は海辺の村に住 │
│ む貧しい漁師でした。毎日海で魚をとって暮らしておりました │
│ が、無用の殺生をしない、心の優しい若者でした。家族は年老 │
│ いた母がいるだけでした。嫁はまだ娶っておりませんでした。 │
│ ある日、太郎がいつものように浜に出てみますと、子どもた │
│ ちが集まって何か騒いでおりました。(太郎が)近付いて子ど │
│ もたちの間を覗いて見ますと、小さな亀がおりました。子ども │
│ たちは、亀をいじめて遊んでいたのでした。やさしい太郎は亀 │
│ をかわいそうに思い、子どもたちに小銭をあたえ、亀を逃がし │
│ てやりました。 │
│ それからしばらくたったある日、太郎が海で釣りをしていま │
│ すと、海の中から大きな亀が現れてこう言いました。・・・・ │
└──────────────────────────────┘
「自己紹介」の例のように、そのまま主題とすることのできる「わたし」の
ような名詞の場合は、初めから主題文を連ねて話を始めることができますが、
物語の場合は初めに場面の設定が必要で、そのために無題文が使われます。
そのあと、主人公である「太郎」が主題化された文が続きます。
昔浦島太郎という若者がおりました。太郎は海辺の村に・・・
次の段落で新しい場面の設定があり、事件が起こります。この時、無題文に
よる、ある事柄の描写があります。
ある日太郎が・・・と、子どもたちが・・・。
登場人物についての説明、つまり物語の背景説明から、具体的な事件に話が
移っていくわけです。
これを、太郎を主題とした文で続けることも可能です。
ある日太郎は、・・・時、子どもたちが・・・のを見ました。
この後も、太郎を主題にした文を続けて行くことは可能かもしれませんが、
そうすると、すべての事柄を太郎の感覚・心理から説明して行くことになり、
視点が固定化され、話が単調になります。
事件の進展を表すためには、無題文のほうが適切です。
61.1.3 主題文と無題文の交替
[物語の場合]
物語の筋の展開に関する主題文・無題文の役割は次のように考えられます。
0.無題文による場面・状況の提示
昔、浦島太郎という若者がおりました。
1.そこからの主題の取り立て(主題化)・「主題-解説」の構造
太郎は海辺の村に住む貧しい漁師でした。
2.同じ主題に対する解説(主題の省略)
毎日海で魚をとって暮らしておりましたが、無用の殺生をせぬ、心
の優しい若者でした。
3.主題に関連する語句の主題化(太郎→家族・嫁)
家族は年老いた母がいるだけでした。嫁はまだ娶っておりませんで
した。
4.無題文による場面の(新たな)展開
ある日、太郎がいつものように浜に出てみますと、子どもたちが集
まって何か騒いでおりました。
5.無題文の連鎖、事象の羅列
(太郎が)近付いて子どもたちの間を覗いて見ますと、小さな亀が
おりました。
6.前文説明(「~のだ」→「 」)
子どもたちは、亀をいじめて遊んでいたのでした。
7.既出の主題の再提示
やさしい太郎は亀をかわいそうに思い、子どもたちに小銭をあたえ
亀を逃がしてやりました。
8.再び無題文による新たな場面
それからしばらくたったある日、太郎が海で釣りをしていますと、
海の中から大きな亀が現れてこう言いました。
物語ではこのように主題文と無題文を使い分けて、話の筋を進めて行きます。
上の「~のだ」の使用も、話の進め方の一つの技巧と言えるでしょう。「~のだ」を
使わないとすると、例えば次のようになります。
ある日、太郎がいつものように浜に出てみますと、子どもたちが亀
をいじめて遊んでおりました。
しかし、これでは展開が単純すぎるので、上の例文では、「何か騒いでいた」
として、読者の注意を引き、「太郎」の視点を移動させ(「近づいて・・・覗いて
見ますと」)、それから「~のでした」で話をまとめています。
このように、「~のだ」を使うことで、話の中に「疑問-説明」という型を
持ち込み、読者の注意を引きつけることができます。
[会話の場合]
会話では、どんどん主題が変わります。まず、話し手と聞き手はいつでも主
題になりえますし、話の場面にあるものや、共通の知識やそれまでの文脈(話
し手と聞き手のこれまでのコミュニケーション)の中のもの、はいつでも主題
になりえます。
「レポート、出した?」
「もちろんまだ」
「どうする?」
「どうするって、書くしかないさ。あと三日ある」
「三日で書けんの?」
「ちょっと難しいけど、なんとかなるさ」
「山田は何て言ってた?」
「もう出したって」
「すごいな」
「お前は」「俺は」は言う必要がありません。途中で話題となる「山田」は
当然省略できません。
「難しい」は「(俺には)三日で書くのは」ですが、なぜそうかと言うこと
を文法規則からきちんと説明するのはなかなか難しい問題でしょう。
さらに、「すごい」のは何が、でしょうか。「山田がもう出したのは」でし
ょうか。
このように、省略された主題が単純な名詞でない場合は、どのような主題が
省略されたと考えるか、また、そもそも常に主題があり、それが省略されてい
ると考えるべきなのかどうか。文法を体系的に、整合的に考えようとすると、
大きな課題となるでしょうが、ここではこれ以上考えません。
61.2 語句のつながり
ここまでは、主題の反復・省略による文のつながりについて見てきました。
以下では主題も含め、一般の語句の反復・省略を見てみます。それと、文脈指
示についてもう一度考えます。
反復・省略・文脈指示語というのは、ひとつづきの事柄です。主題の例をあ
げておきます。
昨日、「言語」という本を読みました。
a.「言語」はサピアという言語学者が書いた本です。(反復)
b.(~は)サピアという言語学者が書いた本です。(主題の省略) c
.それはサピアという言語学者が書いた本です。(指示代名詞)
d.その本は、サピアという言語学者が書いた本です。(指示連体
詞)
aの例は、前の文の焦点となっている名詞「言語(という本)」を反復し、
主題としてとりあげています。
bでは、その主題となる名詞は、前の文で焦点となって十分に聞き手の注意
を引いていると考え、省略することによってかえって二つの文の関係を緊密な
ものにしようとしています。
cでは「それ」、dでは「その」という指示語を使って、前の文とのつなが
りを明示的なものにしています。
以下では、これらのそれぞれの問題をかんたんに見、使い分けについても考
えてみます。
61.2.1 反復・代用形式
反復というのは同じことばを繰り返すこと、代用形式というのはいわゆる代
名詞のように代わりのことばを使うことです。長いことばの一部を使うことも
反復の中に入れます。主題の反復はすでにとりあげたので、それ以外の文の成
分の反復を扱います。
[名詞の反復]
日本語は、同じ名詞の反復をあまり避けない言語です。
久しぶりに田中さんから電話があった。田中さんは、私のいとこに
当たる人だが、年が二十以上も離れているので、私にとっては叔父
さんのように感じられる人だ。今度、その田中さんの娘さんが東京
の会社に就職し、上京するのであいさつに伺わせるという話だった。
二度目の「田中さん」を「彼」にするのは適切とは言えません。
彼は、私のいとこに当たる人だが、・・・
「彼」よりも「田中さん」のほうが親しみが感じられます。このように、話題
となっている人への「待遇」(→「29.敬語」)を表し分けるような表現は、
「彼」のような待遇的に無色なことばで置き換えることはできません。
久しぶりに田中から電話があった。彼は中学時代の同級生で、三年
前に同窓会の幹事を一緒にやったことがあった。
ぐらいのそっけない書き方なら、「彼」でも落ち着きます。
三度目の「田中さん」には指示語の「その」が付けられています。これは、
固有名詞に指示語が付けられるという、興味ある用法です。「田中さん」が誰
を指示しているかははっきりしています。外の「田中さん」がいるわけではあ
りません。
しかし、「その」をつけて、「田中さん」が「どんな」人かを(「どの人か」
でなく)説明した部分を受けています。
人の場合、「部長」などの肩書きを繰り返し使うこともよくあります。しか
し、これらは文法の問題というより、語彙の問題でしょう。
けさ、駅で田中部長にあった。部長は~
これも「彼は」とは言えません。
「彼」「彼女」は次のような場合にも使えません。
昔、あるところにおじいさんとおばあさんがありました。おじいさ
んは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
(×彼は・・・、彼女は・・・)
結局、「彼・彼女」は、日本語では3人称代名詞としては確立していません。
次は普通名詞の例です。
まっすぐ行くと、高い塀の前に出た。塀は黒く塗られていた。私は
塀に沿って歩いていった。塀はどこまでも続いていた。
二番目以下の「塀」を指示語の「それ」で置き換えることもできますが、な
んとなく翻訳調になってしまいます。
まっすぐ行くと、高い塀の前に出た。それは黒く塗られていた。私
はそれに沿って歩いていった。それはどこまでも続いていた。
二番目以降を全部省略してしまうのも変です。
?まっすぐ行くと、高い塀の前に出た。黒く塗られていた。私は沿っ
て歩いていった。どこまでも続いていた。
代名詞や「再帰代名詞」と呼ばれる「自分」などは、それがどの名詞を指す
のかが文法上問題になります。
[代名詞の解釈]
次の「彼」は誰を指すでしょうか。この文だけではわかりません。
田中は佐藤に会って、彼の本を手渡した。
「田中・佐藤」あるいは文脈に出てきた他の誰かの可能性もあります。
田中は佐藤に会って、田中/自分 の本を手渡した。
田中は佐藤に会って、佐藤の本を手渡した。
(吉田は田中に本を預けた。)田中は佐藤に会って、吉田の本を手
渡した。
最後の例は、「彼の本」にするにはこの程度の文脈では少し不自然かもしれ
ません。もう少し「吉田」の話が続いたあとなら自然に感じられるでしょう。
[自分]
「自分」の指すものはその文の主体と一致します。「再帰代名詞」と呼ばれ
ます。
田中は佐藤と自分の部屋で話した。(自分=田中)
しかし、次の文では「自分=佐藤」にもなります。
田中は佐藤に自分の部屋で待たせた。(自分=田中/佐藤)
これは生成文法でよく話題になる問題です。「V-させる」は、その動作の
主体と、「-させる」の主体とが二重になっているので、「自分」の指すもの
が二つになりうるのです。
図式的に表すと、次のような二つの構造に対応します。
田中は佐藤に[佐藤が佐藤の部屋で待つ]させた。
田中は佐藤に[佐藤が田中の部屋で待つ]させた。
受け身でも同様のあいまいさが発生します。
田中は佐藤に自分の写真を見せられた。(自分=田中/佐藤)
反復と代名詞と再帰代名詞、および何も使わない「省略」との使い分けの問
題は最後の「まとめ」のところで少し触れることにします。
[他の代用形式]
代名詞以外にもいろいろな表現法があります。
子供の友達が遊びに来た。子供たちは私の部屋に来て・・・
A電力会社の原発で事故が起こった。同社は・・・
弟が大学受験に失敗した。当人は平気だったが、親が大変だった。
代表団は五日夜現地に到着した。一行は六日の朝に・・・
「-たち」は、誤解している人が多いようですが、複数を表す形式ではあり
ません。「田中さんたち」は、決して複数の「田中さん」ではありません。同
様に、「わたしたち」は、「わたし」とそのグループ、です。
もっとも、何人かの人が声を揃えて「私たちは断固反対します!」と言うよ
うな場合はまた別かもしれませんが。
「同社」以下の例は、語彙の使い分けの問題と考えて、ここではとりあげま
せん。
61.2.2 省略
前に、主題の省略によって連文のまとまりが作られることを見ました。省略
は、たんに不要だから省くのではなく、それがないことによって、かえって文
脈のつながりを確かにするためのものです。
日本語では、言わなくてもわかるものは省略するのがふつうです。逆に言う
と、省略されたことばは、聞き手が確実に理解(復元)できるものでなければな
りません。
話し手は、何が省略できるか、自然な省略のしかたと、省略してはいけない
要素について知っていなければなりません。そして、聞き手は省略された要素
を正しく理解することが必要です。
省略されることばには、会話が行われる実際の場面(現場)からわかるもの
と、それまでの話の流れ(文脈)からわかるものがあります。指示語の用法に
なぞらえて言えば、「現場省略」と「文脈省略」ということになります。
ただし、ここで注意しなければならないのは、省略されている「語」を確定
する必要はないということです。「わたし」か「ぼく」か「あたし」か、ある
いは「あなた」か「おまえ」か「田中(さん)」などのどれかということは前後
の状況・文脈から判断できることが多いのですが、それはたまたまできるだけ
であって、「ある指示物を指す語」あるいは「ある概念を表す語」が省略され
ているのだ、と考えておくべきです。
それともう一つ、文の構造上省略されなければならないものがあります。
これはむしろ「削除」と呼ぶべきかもしれませんが。これは「複文のまとめ」
で少し述べました。
[現場・状況・文脈]
1a(相手の持っている物に注目して)どこで買ったの?
b1 駅前の店で買ったの。いいでしょー。
b2 駅前の店だよ。いいでしょー。
これだけのかんたんな会話について、多少しつこく省略ということを考えて
みましょう。
まず、話し手と聞き手を示す「わたし」や「あなた」(またはそれに代わる
ことば)が省略される第一候補です。話し手と聞き手は、言語による伝達が成
り立つ場面にかならず存在するもので、お互いそれがわかっていますから、条
件さえ整えば、いつでも省略できるものです。
初めの文は、「買う」という[人が]をとる述語が来ている疑問文です。特
に他の人が話題になっているのでなければ、主体の[人が]になり得るのは聞
き手しかいません。(疑問文で、話し手が自分自身の行動を聞き手に問うとい
うことはふつうではありません。「どこで買ったと思う?」とすると、「買っ
た」のは話し手です。なぜそうなるのか考えてみて下さい)
そこで、省略されているのは「あなた(君、田中さん・・・)」だとわかりま
す。これを、
あなた/君/田中さん はどこで買ったの?
などとすると、かえってよけいな意味合いがついて(他の誰かではなく「あな
たは」、つまり対比の気持ちが強められます)、例1の文とは違ってしまいま
す。省略は、たんに「あってもなくてもいいもの」を省くのではありません。
それから、例1aでは「それを(その~を)」が省略されています。
「買う」は[人が ものを]という必須補語をとりますから、ふつうは「N
を」が必要です。
逆に言えば、あるべき名詞だからこそ、言わずにおくと、何かその場にある
ものを指すことになります。ここでは、話し手が今注目しているものが、この
[ものを]に当たるものとして解釈されます。
この文では[時に]はありませんが、こちらは必須補語ではないので、なく
ても特に問題にはなりません。「省略されている」とは見なされません。
同じように、b1の文では「私は」(またはそれに代わる言葉)と「これを」
(または主題化された「これは」)が省略されています。これらも何ら問題な
く省略され、また、聞き手も解釈に迷うことはありません。
b2の文は二つの解釈の可能性があります。疑問の焦点「どこ」の答えとして
「駅前の店」があり、それを文の形にととのえるために「だ」が付いたと考え
るか、強調構文の前半が省略されたものと考えるか、です。
(どこで?)→ 駅前の店(で) → 駅前の店(で)だ
(買ったのは)駅前の店(で)だ
結局、同じことになります。
以上は発話の現場にあるものの省略の例でした。発話時の「現場」だけでな
く、もう少し時間的な幅やその場の物事に関する知識などを含めて「状況」と
呼ぶことにすると、その状況の中にあるものも省略することができます。
「(トイレから戻って)あれ、帰っちゃったの?」
「うん、うちから電話があって」
誰が帰ってしまったかは、発話者たちには明らかでしょう。今、発話の現場
にはいないのですが、それまで人がいた、という状況での発話です。逆に、来
る予定の人・ものに関して、
「まだ来てない?」
と聞くこともあります。状況を知らない第三者がその場にいても、何のことか
わかりません。
また、ひな祭りの時期になって、娘が母親に、
まだ飾らないの?
と言えば、[誰が何を]は明らかです。「状況」とはそのような社会常識も含
みます。学習者は、単語の意味・文法だけでなく、その言語社会の文化・習慣
を知らないと、ある一つの発話すら理解することができません。
次に、それまでに発話されたことばの中に出ていたものとの関係による省略、
つまり文脈の中での省略について考えます。
文脈上の省略は、「61.主題のつながり」でもいくつも例が出ていましたし、
わざわざ例をあげるほどのこともないかもしれません。
文法の本を買ってきた。少し読んで、すぐいやになった。
いい例文ではありませんが、「何を」読んだか、「何が」いやになったか、
は明らかです。しかし、
?文法の本を買ってきた。少し文法の本を読んで、すぐ文法の本がい
やになった。
がなぜ不自然なのかをきちんと説明するのは難しいことです。指示語の「それ」
などに置き換えるのがいいのでしょうが、
文法の本を買ってきた。少しそれを読んで、すぐそれがいやになっ
た。
とすると、あとの「それ」は不要です。同じ文の中で「それ」を繰り返す必要
はありません。
こうしてみると、省略したり、指示語に置き換えたりするのか基本で、前の
「塀」の例のほうが例外的なのでしょう。
敬語や「やりもらい」の動詞は、話し手と聞き手、あるいは話の中の人物と
の関係を表すので、それを手がかりにすることができます。逆に言えば、かな
り省略しても理解できます。このことは、「ボイス」の中のやりもらい動詞の
ところで例をあげました。
A:あれ、もらってくれる? (BがAのために、Aからもらう)
B:そうね。じゃあ、かわりにこれをもらってもらおうかな。
(AがBからもらう、BがAに「てもらう」)
(敬語の例)
61.2.3 文脈指示語
[文脈指示のコ・ソ・ア]
コ・ソ・アが何を指すかということは、読解の基本事項であり、読解試験に
欠かせない設問の一つです。前に出た一つの名詞を指すのか、あるいは一つの
文、さらにはそれ以上の範囲を大きく指しているのか、ということを読み取ら
なければ、文章の内容をつかみそこないます。
これは、むろん前後の文の意味内容から判断されるのですが、基本的なコ・
ソ・アの使い方を知っている必要があります。「15.指示語」で述べましたが、
要点を繰り返しておきます。
文脈指示は「こ-」「そ-」が中心で、特に「そ-」がよく使われます。文
脈にすでに出てきた語句を指すのが基本です。「こ-」を使うと、特に自分に
引きつけて言っているという感じがします。
「夕べ、いとこがうちに泊まってね」「そのいとこって、男?女?」
昨日、新しい車を買ったんだ。今日はそれに乗ってきた。(?これ)
昨日、新しい車を買ったんだ。これがなかなかいい車でねえ。
「空はどうして青いの?」「それは難しい質問だねえ」
「空はどうして青いの?」「空はどうして青いか? ふむ、これは難し
い質問だねえ」
「こ-」の系統は後に述べることを指すことができます。
こういう笑い話があります。ある男が結婚することになって・・・
私はこう考えるんです。人生は一度限りのものだ。だから、・・・
稀ですが、「そうだ」の形が、同じ文の中で後に述べる部分を指すことがあ
ります。
私もそうだが、人は他人の癖にはよく気が付くが、自分の癖は気が
付かないものだ。
この「そうだ」は、文の後の部分を指します。文の後ろに置いて、
人は他人の癖にはよく気が付くが、自分の癖は気が付かないものだ。
私もそうだ。
としても同じです。
小さなミスがいくつかあった。当局はそれを否定したが、そのため
に計画が遅れたのは事実だ。
この例の「それ」は「ミス」あるいは「ミスがあったこと」のどちらとも言
えます。
(アの例)
61.3 情報の構造
ここではこれまでと少し違ったことを考えます。つながっていく情報の質に
ついて考えてみます。
61.3.1 新情報・旧情報
人が言語を使う一つの大きな目的は、情報を他に伝えることですが、その場
合、当然その「情報」は受け手にとって、それまで知らない、新しい事柄を含
んでいます。しかし、ある発話はすべて新しい情報からなるわけではありませ
ん。
多くの発話・文は、聞き手にとってすでに知られている部分、「旧情報」と、
話し手が新しく伝えたい部分、「新情報」からなっています。(「前提」と
「焦点」と言ってもだいたい同じです。)
この「情報の新旧」ということは、名詞文で「は」と「が」の違いを述べた
ときに触れました。
a 私は田中です。(「どなたですか?」)
b 私が田中です。(「田中さんはいらっしゃいますか?」)
aの「私は」の部分、bの「田中」は省略できます。
a’田中です。
b’私です。(あるいは、「私が・・・。」とも言えます。)
ここで省略されうる部分は「旧情報」です。aの「私(は)」とbの「田中」
です。逆に、省略され得ない部分が「新情報」ということになりますが、aの
「田中」はともかくとして、bの「私」が新情報とは言えません。「私」は話
し手としてその場にいるわけで、聞き手もとうぜん知っているからです。
「新情報/旧情報」ということが言われるとき、名詞がその文脈で出ている
かどうか、あるいは聞き手が「予測」できるかどうかというようなことが問題
にされますが、この「情報」の単位が、例えば上の例のような場合、名詞と考
えていいのかどうかが問題です。
ここでは、
[ ]が田中です。(あるいは、「田中は[ ]です。」)
の[ ]の部分に「私」が入るということ、それが伝えるべき情報です。
「焦点」ということばを使えば、「『私』が焦点となること」、それが新情
報だ、と言えます。(aの場合も「田中」が新情報だと言うより、少なくとも
「田中だ」が新情報だと言うべきでしょう。)
その辺のことを承知した上で、「私」は旧情報だとか新情報だとか言うのな
ら、説明のために単純化した言い方として便利でしょうが、「新情報」という
用語は安易に使われがちなので注意する必要があります。
さて、名詞文は基本的に「は」の構文です。「が」の構文は多少とも特別な
場合に限られます。それを「情報の新旧」という観点から言いかえれば、
名詞文は「旧情報-新情報」という情報構造が基本である。
となります。これは形容詞文でも同じです。つまり、主題文は「旧-新」の情
報構造を持っています。
では、動詞文ではどうでしょうか。動詞文では主題文と無題文がどちらもよ
く使われます。
主題文の情報構造は、基本的に「旧-新」となります。ただし、新情報の部
分が一つの補語や副詞などに限られ、述語自体は旧情報である場合もあります。
a.(田中さんは?)
田中さんは/家に帰りました。(旧/新)
b.(田中さんはどこにいますか?)
田中さんは/教室に/います。(旧/新/旧)
bの例では、
田中さんは[ ]にいます。
という枠組みが旧情報(前提)となっています。そこに新情報である「教室」
が挿入されているのです。
無題文の場合は、「新-旧」となる場合と、文全体が新情報である場合があ
ります。
a.(何かありましたか?)
田中さんが来ました。 (文全体が新)
b.(誰が来ましたか?)
田中さんが/来ました。(新/旧)
aの例は「指定」の「が」です。bの場合は「誰かが来た」ことは前提とな
っています。そこに「田中さん(が)」という新しい情報が加えられたのです。
61.3.2 視点
もう一つ、情報の質ということで考えなければならないのは、「視点」とい
う問題です。
会話の場合、話し手がある時、ある場所で話をします。その時、話し手のこ
とばはその時、その場を基準にした使い方になります。具体的に言うと、「昨
日/今日/明日」や「ここ/そこ/あそこ」「行く/来る」、さらには「あげ
る/くれる/もらう」などのことばが、この「視点」に関係します。
話し手が「いま、ここで、私が」話す、ということがすべての基準になりま
す。それ以外のところに基準を動かすことを、「視点の移動」と呼びます。
書かれた文章になると、問題が複雑になります。
A.時の基準
話している時が「いま」で、それを基準にして過去と将来を分けます。「昨
日/今日/明日」は発話時基準です。
それに対して、例えば1年前のある日の話をしていれば、「(その)前日/当
日/翌日」のような語群を使います。次の週は「来週」ではなく、「翌週」に
なります。「その翌年」はつまり「今年」です。これらの語の一つ一つは語彙
の問題ですが、そのような考え方そのものは文法の範囲内です。
引用は当然この問題に関わります。1年前のある日、心の中で思ったことは
明日あの人に会いに行こう。
でも、間接引用の形にすれば、
次の日その人に会いに行こうと思った。
となります。
B.場所の基準
話し手の位置が「ここ」で、それ以外は「そこ/あそこ」などで示されます。
場所に関しては、移動を表す動詞の使い方が関係します。「行く/来る」です。
「行く」は「ここ」から離れる動き、「来る」は「ここ」に近づく動きを表し
ます。「来る」に当たる英語の動詞 come が、話し手が聞き手のところへ「行
く」ことを表すということはよく言われます。視点の置き方が違うわけです。
視点の移動という点で、第三者の移動をどう表すかという問題があります。
Aさんは大阪の会社を辞め、神戸で会社を始めた。京都にいた友人
のBさんを誘った。Bさんは「いっしょにやろう」と言った。九州
にいたCさんも神戸に[ ]。
ここで「行った/来た」のどちらが入るでしょうか。話し手の視点が「Aさん」
といっしょに神戸に移動したかどうか、です。
(みかん・ミカン・蜜柑・未完)
庵功雄1996「指示と代用-文脈指示における指示表現の機能の違い-」『現代日本語研究』3大阪大学
清水佳子1998「格成分から主題への取り立て-主題の連続における導入部-」『現代日本語研究』5大阪大学
高橋美奈子1998「文の叙述内容と主題の有無の関わりについての覚書」『現代日本語研究』5大阪大学
庵功雄1995「語彙的意味に基づく結束性について-名詞の項構造との関連から-」『現代日本語研究』2大阪大学
甲斐ますみ1998「発話における省略とその解釈」『世界の日本語教育』8
清水佳子1995「主題の省略と顕現から見た文連鎖の型-文類型との相関という観点からの考察-」『待兼山論叢』日本学篇29大阪大学文学部
アンドレイ ベケシュ「文の形成と節の内容的つながり」
矢田部修一「現代日本語における3種類の主格助詞省略現象」
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