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論語--公冶長 雍也 述而 泰伯

来源:孔子 作者:日语港 时间:2010-02-16 阅读:5586

5 公冶長篇
●公冶長-01
子謂公冶長、可妻也、雖在縲紲之中、非其罪也、以其子妻之

先生は公冶長に、
妻どりさせてよい。獄中につながれたことはあったが、彼の罪ではなかった。と言い、その娘を娶わせた。

●公冶長-02
子謂南容、邦有道不癈、邦無道免於刑戮、以其兄之子妻之

先生は南容のことを、
秩序の保たれた世では出世し、無秩序の世でも犬死はしない。と言い、その兄の娘を娶わせた。

●公冶長-03
子謂子賎、君子哉若人、魯無君子者、斯焉取斯

先生は子賎のことを、こう言ったという。
立派だね、こうした人物は、国に立派な人がいなければ、どこから徳を得られたろう。

●公冶長-04
子貢問曰、賜也何如、子曰、女器也、曰、何器也、曰、瑚嗹也

子貢が先生にこう尋ねた。
私はどのような人物でしょうか?

先生が、お前さんは器だ。と言うと、
子貢は何の器ですか?と返す。

先生は、神社のお供え物を盛る器。と答えた。

●公冶長-05
或曰、雍也、仁而不佞、子曰、焉用佞、禦人以口給、屡憎於人、不知其仁也、焉用佞也

誰かがこう言った。雍は慎ましいが口下手だ、惜しい事だ。

先生はこれを聞き、こう感想を述べたという。
ヘタに口達者で人を騙す者は、人から憎まれるものだ。雍が慎ましい人物かどうかは知らないが、特に口先の機転は必要なかろう。

●公冶長-06
子使漆雕開仕、對曰、吾斯之未能信、子説

先生が漆雕開を仕官させようとした事があった。しかし漆雕開は、まだ自信がないと言う。先生はその向学心の厚いのを喜んだという。

●公冶長-07
子曰、道不行、乘桴浮于海、從我者其由也與、子路聞之喜、子曰、由也、好勇過我、無所取材

先生はこう言っていた。
この無秩序の国から、いかだに乗って新天地へ行くとすれば、ついて来てくれるのは子路ぐらいかな?

子路がそれを聞き嬉しがっていたので、先生はこう言った。
お前さんは私以上に勇気があるが、さて困った事に、この辺にいかだの材料が見当たらない。

●公冶長-08
孟武伯問、子路仁乎、子曰、不知也、叉問、子曰、由也、千乘之國、可使治其賦也、不知其仁也、求也何如、子曰、求也、千室之邑、百乘之家、可使爲之宰也、不知其仁也、赤也何如、子曰、赤也、束帶立於朝、可使與賓客言也、不知其仁也

孟武伯が先生に、子路は仁者ですか。と訊ねた。
先生はわかりませんと答えた。更に聞くので、
子路は軍のきりもりはできますが仁者かどうかはわかりません。と答えた。

続いて、求はどうでしょうと訊ねる。
先生は、求は政治で活躍できるでしょうが、仁者かどうかはわかりません。

赤はどうでしょう?
先生は、赤は礼に明るく、交渉に活躍するでしょうが、仁者かどうかはわかりません。

●公冶長-09
子謂子貢曰、女與囘也孰愈、對曰、賜也何敢望囘、囘也聞一以知十、賜也聞一以知二、子曰、弗如也、吾與女弗如也

先生が子貢に向かってこう言ったという。
お前さんと顔回と、どちらが優れていると思うかね?
子貢は、顔回は1つの事から10を学び取りますが、私はせいぜい2を知る程度です。と答えた。
先生もうなずいてこう言った、そうだな私も顔回の習得力には及ばないな。

●公冶長-10
宰予晝寝、子曰、朽木不可雕也、糞土之牆、不可朽也、於予與何誅、子曰、始吾於人也、聽其言而信其行、今吾於人也、聽其言而觀其行、於予與改是

宰予が怠けて昼寝をした事があった。

先生は激怒してこう言った。もはやおぬしには叱る気にもなれない。前までは、言葉で人の行いまで信用していたが、お前さんのおかげで行いまでをみて判断しないとならぬと悟ったわ!

●公冶長-11
子曰、吾未見剛者、或對曰、申橙、子曰、橙也慾、焉得剛

先生が、私は剛者を見たことが無い。と言った。
誰かがこう訊いた。申橙はどうでしょう?
先生は言う。申橙は欲が強いので剛者とは思えない。

●公冶長-12
子貢曰、我不欲人之加諸我也、吾亦欲無加諸人、子曰、賜也、非爾所及也

子貢は言った。私は自分がされて嫌な事は、人にもしないようにしたいです。先生は言った。お前には難しかろうて。

●公冶長-13
子貢曰、夫子之文章、可得而聞也、夫子之言性與天道、不可得而聞也已矣

子貢が言った。先生の文章は誰でも読めるが、人の本質と天の道理を語られると、奥が深いだけにワケがわからない。

●公冶長-14
子路有聞、未之能行、唯恐有聞

子路は、何かを聞いて確認できないうちは、さらに何かを聞くことをひたすら避けた。

●公冶長-15
子貢問曰、孔文子何以謂之文也、子曰、敏而好學、不恥下問、是以謂之文也

子貢が訊ねた。孔文子はなぜ文というおくり名をされたのでしょうか。
先生は言った。利発で学問好きで目下にものを教わる事を恥としなかった。だからではないだろうか。

●公冶長-16
子謂子産、有君子之道四焉、其行己也恭、其事上也敬、其養民也惠、其使民也義

先生が子産をこう評した。
立派な人物は、振る舞いはうやうやしく、目上に仕えて慎み深く、民を養うに情けが深く、人をつかうに公正に判断するものなんだよ。

●公冶長-17
子曰、晏平仲善與人交、久而人敬之

先生がこう言っていた。
晏平仲は人付き合いが上手かった、長く付き合っても、相手に対する敬意は失わなかった。

●公冶長-18
子曰、臧文仲居蔡、山節藻セツ、何如其知也

先生が言っていた。
臧文仲は商売道具をしまっていたし、王しかやらない事を先立ってやった。どうなのだろう、これは智者といえるだろうか。

●公冶長-19
子張問曰、令尹子文、三仕爲令尹、無喜色、三已之、無慍色、舊令尹之政、必以告新令尹、何如也、子曰、忠矣、曰、仁矣乎、曰、未知、焉得仁、崔子弑齊君、陳文子有馬十乘、棄而違之、至於他邦、則曰、猶吾大夫崔子也、違之、至一邦、則叉曰、猶吾大夫崔子也、違之、何如、子曰、清矣、曰、仁矣乎、曰、未知、焉得仁

子張が尋ねた、
役人の子文は三度仕えて役人となったが嬉しそうな顔をせず、三度辞めさせられても怨みがましい顔をせず、後任の役人に今までの政治を報告しました。これはいかがでしょうか?

先生が答える。誠実だね。

子張が言う。仁でしょうか?

先生答える。仁には智も必要だが、彼には智が足りない。仁とはいい難いかな。

では崔子が王を亡き者にしたとき、陳文子は40匹の馬を所有していましたが、それを棄てて他国に走りました。そこでも乱れた政治を見て去り、また他国に走りましたがまた乱れた政治を見て去りました。これはどうでしょう?

先生答える。清潔だが、智が足りないから、仁とはいい難い。

●公冶長-20
季文子三思而後行、子聞之曰、再思斯可矣

季文子は三度考えてから物事をはじめた。
先生はこれを聞き、それでは慎重すぎて好機を逸するよ。そう言った。

*(季文子ほどの人物なら2度で大丈夫。や、深く考えすぎると欲が出る)などの意訳もあり


●公冶長-21
子曰、寧武子、邦有道則知、邦無道則愚、其知可及也、其愚不可及也

先生がこう言っていた。
寧武子は国に秩序がある時には有能ぶりを発揮し、国が乱れた時には身を引きまるで愚かであるかのように振舞った。能力を発揮する事は容易だが、隠すことは難しい。

●公冶長-22
子在陳曰、歸與歸與、吾黨之小子狂簡、斐然成章、不知所以裁之也

先生は陳の国でこう言ったという。
あ~あ、さて帰るか、よし帰ろう!故郷では若者達が意欲に溢れながら、その力をどう発揮したものか迷っている。帰って指導してやるかな。

●公冶長-23
子曰、伯夷叔齊、不念舊惡、怨是用希

先生がこう言っていた。
伯夷と叔齊は、人の悪事を見逃す事をしなかったが、過去の過ちはほじくり返さなかった。だから人からあまり恨まれなかったのだろうね。

●公冶長-24
子曰、孰謂微生高直、或乞醯焉、乞諸其鄰而與之

先生がこう言っていた。
微生高が率直な人物とは思えんな。誰かが微生高に酢をもらいにいった時、自分ちに酢が無いにもかかわらず、無いと言わず、ご苦労にも、隣から借りてきて与えたというではないか。

●公冶長-25
子曰、巧言令色足恭、左丘明恥之、丘亦恥之、匿怨而友其人、左丘明恥之、丘亦恥之

先生がこう言っていた。
左丘明は、本心は嫌っていて、そ知らぬ顔で人と付き合う態度を恥ずべき事とした。私も同感だ。

●公冶長-26
顔淵季路侍、子曰、盍各言爾志。子路曰、願車馬衣輕裘、與朋友共、敝之而無憾、顔淵曰、願無伐善、無施勞、子路曰、願聞子之志、子曰、老者安之、朋友信之、少者懐之

顔回と子路がお供していたとき、先生がこう言ったという。
ちょっと気になったのだが、お前さんたちの望む夢ってなんだい?

子路は、俺は乗り物や着物を共に使い、それが痛んでも気にならない。そんな付き合いが出来る仲間が欲しいです。

顔回は、僕は善行を自慢せず、苦労を人に押し付けない、そのような人間になりたいです。

子路が、先生!俺達だけ話して先生が話さないのはずるいですよ、先生のも教えてください!というと、

おうおう聞きたいかね。私は老人からは安心され、友人からは信頼され、若者から慕われるようになる事だ。

●公冶長-27
子曰、已矣乎、吾未見能見其過、而内自訟者也

先生がこう言っていた。
やれやれ、自分の欠点を自分で認め、自分を叱る事ができる、自分に厳しい人物というのはなかなかいないもんだ。

●公冶長-28
子曰、十室十邑、必有忠信如丘者焉、不如丘之好學也

先生がこう言っていた。
どこにでも私程度の人物はゴロゴロいる。私はただ学問好きなだけだよ。

6 雍也篇
●雍也-01
子曰、雍也可使南面

先生がこう言っていた。
雍は立派な政治家になれるだろう。

●雍也-02
仲弓問子桑伯子、子曰、可也、簡、仲弓曰、居敬而行簡、以臨其民、不亦可乎、居簡而行簡、無乃大簡乎、子曰、雍之言然

仲弓が子桑伯子のことを先生に尋ねた。先生はこう言ったという。
ゆったりしている。立派だ。

仲弓が、慎み深くてゆったり行動し、それで国民と向き合うのなら立派ですね。しかしゆったり構えてゆったり行動するのでは、少しおっとりし過ぎではないでしょうか。というと、

先生は、なるほどそういえばそうだね。と答えた。

●雍也-03
哀公問曰、弟子孰爲好學、孔子對曰、有顔囘、好學、不遷怒、不貳過、不幸短命死矣、今也則亡、未聞好學者也

王様の哀公が先生に、弟子の中で誰が1番学問好きでしょう。と訊ねた。
先生は、顔回が一番でした。怒りにまかせて八つ当たりせず、過ちを繰り返しませんでした。しかし不幸にして今は亡ません。弟子の中では、ほかにはいません。

●雍也-04
子華使於齊、冉子爲其母請粟、子曰、與之釜、請益、曰與之ユ、冉子與之粟五秉、子曰、赤之適齊也、乘肥馬、衣輕裘、吾聞之也、君子周急不繼富

子華が先生の用事で斉の国にいった。
そのとき冉子は親の為に米が欲しいと願った。

先生は釜の分だけにしておきなさい。と言ったので、増やして欲しいと願うと今度は、じゃあもう少しだけおまけして、これだけにしておきなさい。と言った。

しかし冉子は独断で大量の米を届けた。これを聞き先生はこう言ったという。
子華が斉の国に出かけたときには、立派な馬に乗り毛皮を着ていた。私が思うに、立派な人物は、困っている人は助けても、有り余っている人には足し前はしないものだ。

●雍也-05
原思爲之宰、與之粟九百、辭、子曰、毋、以與爾隣里郷黨乎

先生が魯の国の司法大臣になったとき、原思はその土地の取り締まり役になったが、米を与えられて辞退した。

先生は、その米をお前さんの隣近所にあげるんだね。と言った。

●雍也-06
子謂仲弓曰、犂牛之子、赤且角、雖欲勿用、山川其舎諸

先生は仲弓のことをこう言った。
どんなに普通の人と違って見えても、才能さえあればお天道様が見逃さないだろう。きっと抜擢されよう。

*(冉雍はやや差別階級の出身だったが、そんなモン関係ねえんだよ。抜擢されるよ)と孔子が言った例え。厳密には(通常と違う牛でも、毛並み良く品質がよければ(見るべき所があれば)山川の神(周囲の良識者)は見逃さない)といった例え


●雍也-07
子曰、囘也、其心三月不違仁、其餘則日月至焉而已矣

先生がこう言っていた。
顔回は常に心を仁や徳から離さない。他のものならこうはいかないだろう。

●雍也-08
季康子問、仲由可使從政也與、子曰、由也果、於從政乎何有、曰、賜也可使從政也與、子曰、賜也逹、於從政乎何有、曰、求也可使從政也與、子曰、求也藝、於從政乎何有

季康子が問うた。
子路は政治ができるでしょうか。

先生は答えた。
子路は果断です。政治をとるくらいなんでもありません。

子貢は政治ができるでしょうか。

先生は答えた。
子貢は知識が豊富です。政治をとるくらいなんでもありません。

冉求は政治ができるでしょうか。

先生は答えた。
冉求は才能豊かです。政治をとるくらいなんでもありません。

●雍也-09
季氏使閔子騫爲費宰、閔子騫曰、善爲我辭焉、如有復我者、則吾必在文上矣

季氏が閔子騫をその勤め先である土地の取り締まり役にしようとした。閔子騫が言った。
どうかお止めください。もし私の代わりに誰か勤めさせればきっと私は文水のほとりにいきましょう。

●雍也-10
伯牛有疾、子問之、自窓執其手、曰、亡之、命矣夫、斯人也而有斯疾也、斯人也而有斯疾也

冉耕が病気になった。先生が見舞いに行き、窓越しにこう言ったという。
これも運命なのか???。冉耕のような人物でも病にかかろうとは、冉耕のような人物でも病にかかろうとは。

●雍也-11
子曰、賢哉囘也、一箪食、一瓢飮、在陋巷、人不堪其憂、囘也不改其樂、賢哉囘也

先生がこう言っていた。
顔回は偉いもんだ。小さな茶碗一杯の飯と、小さな湯のみ一杯の暮らしだ。他のものならその辛さに堪えきれないだろうが、顔回はそのなかでも自分の楽しみを失わない。偉いもんだ。顔回は。

●雍也-12
冉求曰、非不説子之道、力不足也、子曰、力不足者、中道而癈、今女畫

冉求が、先生に学ぶ事はわかるのですが、どうにも自身がありません。

先生はこう言った。
力不足のものは、進行中に途中で止まることになるが、お前さんは自分で最初からダメだと思い込んでいるだけだ。

●雍也-13
子謂子夏曰、女爲君子儒、無爲小人儒

先生が子夏にこういったと言う。
お前さんは、立派な学者になりなさい。売名のみを考えるつまらぬ学者にはならないように。

●雍也-14
子游爲武城宰、子曰、女得人焉耳乎、曰、有澹薹滅明者、行不由徑、非公事、未嘗至於偃之室也

子游は取締役になった。
先生はこう言った。お前さん、いい部下を得られたかい?

澹台明滅という人物がいます。歩くに近道をとらず慎重で、公務以外で私の部屋にやって来ません。

●雍也-15
子曰、孟之反不伐、奔而殿、將入門、策其馬曰、非敢後也、馬不進也

先生がこう言っていた。
孟之反は天狗にならない。敗走時にしんがりを務めたが、自国についたとき、馬を鞭で叩いて見せて、こう言った。しんがりをつとめたわけではない、馬が走ってくれなかったのです。

●雍也-16
子曰、不有祝鴕之佞、而有宋朝之美、難乎、免於今之世矣

先生がこう言っていた。
宋朝は色男であるのをいい事に羽振りきかせているが、やはり祝鴕のような弁才がなければ、今の世を無事に送る事は難しいだろう。

●雍也-17
子曰、誰能出不由戸者、何莫由斯道也

先生がこう言っていた。
どんな人でも出入するのに扉を通らなくてはならない。それなのになぜ生きていくと言う事になると、まっすぐな道を通ろうとしないのか。

●雍也-18
子曰、質勝文勝質則史、文質彬彬、然後君子

先生がこう言っていた。
内容は立派なのに、充分表現しきれないと荒っぽい印象を与えてしまう。逆に表現が立派過ぎて内容がそれほどでなければ、そらぞらしい感じを与える。内容と表現がほどよく調和しているのが理想形だ。

●雍也-19
子曰、人之生也直、罔之生也、幸而免

先生がこう言っていた。
人っていう生き物は本来まっすぐな生き方をすると思う。ゆがんだ生き方で永らえる者もいるが、それは運だけで生きているようなものだ。

●雍也-20
子曰、知之者不如好之者、好之者不如樂之者

先生がこう言っていた。
理解する事は好きになる事に及ばない。好きになる事は楽しむ事に及ばない。

●雍也-21
子曰、中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也

先生がこう言っていた。
知識豊富な人には高度な事を話しても良いが、初心者にはまず基本から話しをすることだ。

●雍也-22
樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣

樊遅が智のことを先生に訊ねた。先生はこう答えた。
祖先や神々は大切にするが、それに頼ろうとしない。それが智だと思う。

次に仁について訊ねるた。先生はこう答えた。
まずは難事に向き合い、利益を先に求めない。それが仁だと思う。

●雍也-23
子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽

先生がこう言っていた。
知者は流動的だから水を好み、仁者はゆったりしているから山を好む。智の人は人生を楽しみ、仁の人は長生きする。

●雍也-24
子曰、齊一變至於魯、魯一變至於道

先生がこう言っていた。
斉の国はチョット工夫すれば魯の国のようになれよう。魯の国はチョット工夫すれば秩序をとりもどせよう。

●雍也-25
子曰、觚不觚、觚哉、觚哉

先生がこう言っていた。
今の盃は昔ながらの盃とは違う。これが今の盃なのか。いや時代も変わったもんだ。

●雍也-26
宰我問曰、仁者雖告之曰井有仁者焉、其從之也、子曰、何爲其然也、君子可逝也、不可陥也、可欺也、不可罔也

宰我が先生に訊ねた。
仁者はだれかが井戸に落ちたのを聞いたら、すぐに飛び込んで助けますか?

先生は答えた。
おいおい、井戸に落ちたと言われただけで、確かめもせず飛び込むはずがないではないか。

●雍也-27
子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫

先生がこう言っていた。
幅広い知識を身につけ、慎重に生きていれば、めったな道に外れないだろう。

●雍也-28
子見南子、子路不説、夫子矢之曰、予所否者、天厭之、天厭之

ある日先生が招かれて単身スキャンダラスな南子夫人と面会したことがあった。子路はこれをおもしろく思わなかった。

先生、どういうことですか!よりによってあの南子夫人と面会なされるとは!

先生はこう答えた。子路よ、私にもし疚しい事があれば、お天道様が見逃さないさ。

●雍也-29
子曰、中庸之爲徳也、其至矣乎、民鮮久矣

先生がこう言っていた。
ほどほど。というのは生活する上でもっとも大事な事だ。だがそれが忘れられて久しい。

●雍也-30
子貢曰、如能博施於民、而能濟衆者、何如、可謂仁乎、子曰、何事於仁、必也聖乎、尭舜其猶病諸、夫仁者己欲立而立人、己欲逹而逹人、能近取譬、可謂仁之方也已

子貢が先生に訊ねた。
もし国民にひろく施しができて多くの人が救えるのなら、これは仁でしょうか?

おおそれは凄いな。それだともはや神様級の働きだね。私の考える仁者は、自分が出世したいと思ったら、まず出世させてやることだ、自分が栄達を願うのなら、まず人の栄達をはかってやる。

7 述而篇
●述而-01
子曰、述而不作、信而好古、竊比於我老彭

先生がこう言っていた。
わたしは先人の残したものを解釈するだけで、自分の良いように曲げて創造しない。それは、古いものは割りに信じる事ができるし、しかも私自身好きだからだ。そんな自分をこっそり殷王朝の老彭と比較している。

*老彭(老子と彭祖のこと)とする解釈もあるらしい


●述而-02
子曰、默而識之、學而不厭、誨人不倦、何有於我哉

先生がこう言っていた。
じっくりと考え、たゆむことなく学び、せっせと後進を教育する。そのくらいなら私にもできそうだ。

●述而-03
子曰、徳之不脩也、學之不講也、聞義不能徙也、不善不能改也、是吾憂也

先生がこう言っていた。
人格の向上を疎かにする。新たな事を覚えてみる事を怠ける。正しいと感じた事を目の前にしながら見過ごす。過ちに気付きながら改めない。私はこれらにならないかが心配事だ。

●述而-04
子之燕居、申申如也、夭夭如也

先生のくつろいでいる時は何の屈託もなく、のびのびしていた。

●述而-05
子曰、甚矣、吾衰也、久矣、吾不復夢見周公也

先生がこう言っていた。
私も老いたな???。近頃あこがれの周公旦の夢を見なくなった。

●述而-06
子曰、志於道、據於徳、依於仁、游於藝

先生がこう言っていた。
道の実現をめざし、徳を身につけ、仁に基づき、芸を楽しむ。

●述而-07
子曰、自行束脩以上、吾未嘗無誨焉

先生がこう言っていた。
何を持参して入門を志願したとしても、礼を尽くした者は、誰であっても入門を断らない。

●述而-08
子曰、不憤不啓、不ヒ不發、擧一隅而示之、不以三隅反、則吾不復也

先生がこう言っていた。
能力に溢れて、いまにも爆発するぐらいの熱意を持っていなければ指導したくない。どう力を発揮するか術を知らず、いらいらするぐらいでなければ教えたくない。話をして、それから多くを感じられるくらいでなければ繰り返したくない。

●述而-09
子食於有喪者之側、未嘗飽也、子於是日也哭、則不歌

先生は身内に不幸があった者と食事を共にするときは、けっして腹一杯食べなかった。
先生は弔いで号泣されたその日には、歌をうたわなかった。

●述而-10
子謂顔淵曰、用之則行、舎之則藏、唯我與爾有是夫、子路曰、子行三軍、則誰與、子曰、暴虎馮河、死而無悔者、吾不與也、必也臨事而懼、好謀而成者也

先生が顔回に言った。登用されれば全力をつくし、罷免されれば潔く退く。これが実行できるのは、私とおぬしぐらいだね。

子路が口をはさむ。
先生、じゃあ軍を指揮するときはだれと行動を共にしますか?

素手で虎と戦い、黄河を泳いで渡ろうとしたりする、命知らずの者とは一緒にやりたくないなあ。どうしてもというのなら事にあたって慎重で、計画的な者とかな。

●述而-11
子曰、富而可求也、雖執鞭之士、吾亦爲之、如不可求、從吾所好

先生がこう言っていた。
正当な方法で金をもうけられるなら、どんな仕事でもやるが、正当でない方法ならば、たとえ高給でも、それよりかは自分の道を通したい。

●述而-12
子之所愼、齊戰疾

先生は、祭祀のときの物忌みと、争いごとと、病に対しては慎重な態度であった。

●述而-13
子在齊、聞韶樂三月、不知肉味、曰、不圖爲樂之至於斯也

先生は斉の国に滞在中、そこに伝わる伝統音楽を聞いたが、深い感銘を受け、以来しばらくの間、うまい料理を食べても味がわからないほどであった。いやいや知らなんだ、音楽がこれほど素晴らしいとは。

●述而-14
冉有曰、夫子爲衛君乎、子貢曰、諾、吾將問之、入曰、伯夷叔齊何人也、子曰、古之賢人也、曰怨乎、曰、求仁而得仁、叉何怨乎、出曰、夫子夫爲也

冉有が言う。ウチの先生は衛の王様を助けられるだろうか。
子貢が言う、よし、私が先生に訊ねてみよう。
先生の部屋にいって訊ねる事にした。

伯夷と叔斉とはどういう人物ですか?
先生。昔の優れた人物だ。

譲りあって王位につけなかった事を後悔したでしょうか?
先生。仁を実践しようとして行動し、それが実現できたのだ。
たとえそのために不利をこうむったとしても、後悔する必要など無い。

子貢が退出すると、ウチの先生は助けられない。といった。

●述而-15
子曰、飯疏食飮水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣、不義而富且貴、於我如浮雲

先生がこう言っていた。
粗末な飯を食べ、腕をまげてそれを枕にする。楽しみはやはりそこにも自然とあるものだ。不当な手段で手にした資産や地位は、私から見れば浮雲のようだ。

●述而-16
子曰、加我數年、五十以學、易可以無大過矣

先生がこう言っていた。
私がもう少しして、50になってから学び始めても、それほどひどい間違いをせずにすむだろう。

●述而-17
子所雅言、詩書執禮、皆雅言也

先生が標準語を話すときは、詩経?諸経を読むときと礼を行う時とで、皆標準語であった。

●述而-18
葉公問孔子於子路、子路不對、子曰、女奚不曰、其爲人也、發憤忘食、樂以忘憂、不知老之將至也云爾

葉公が先生の事を子路に訊ねたが、子路は答えなかった。
先生は言った。お前さん、なぜ言わなかったんだい?学問に熱中するあまり、食事も心配事も忘れ、自分が老人であるのにも気付かずにいる、元気なじいさんだと。

●述而-19
子曰、我非生而知之者、好古敏以求之者也

先生がこう言っていた。
私も生まれながらにして何でも知っていたわけじゃない。昔の事を愛好して、懸命にそれを探求しているのである。

●述而-20
子不語怪力亂神

先生は、怪奇現象?暴力?秩序破壊?神について論じなかった。

●述而-21
子曰、我三人行、必得我師焉、擇其善者而從之、其不善者改之

先生がこう言ってた。
私は多くの人と行動を共にすれば、必ずその中から自分の師をみつける。優れた所を学び、嫌な部分を反面教師にするからだ。

●述而-22
子曰、天生徳於予、桓タイ其如予何

先生が宋の国で迫害を受けた時にこう言ったという。
私は私の広めたい教えに自信がある。桓タイごときに迫害されたとてどうということはない。

●述而-23
子曰、二三子以我爲隱乎、吾無隱乎爾、吾無所行而不與二三子者、是丘也

先生がこう言っていた。
おいおい、お前さんたち私が隠し事をしていると疑っているな?私はなにも隠しなどいないよ。いつもお前さんたちと共に行動しているではないか。

●述而-24
子、四つを以て教う。文、行、忠、信

先生は、4つに重点をおき教育した。読書?実践?誠実?信義である。

●述而-25
子曰、聖人吾不得而見之矣、得見君子者、斯可矣、子曰、善人不得而見之矣、得見有恆者、斯可矣、亡而爲有、虚而爲盈、約而爲泰、難乎有恆矣

先生がこう言っていた。
神様には会えないが、立派な人に会えればそれで充分だ。ありもしないのにある顔をしたり、見栄をはったりしているのでは、ありのままの姿でいるのは難しい。

●述而-26
子釣而不綱、弋不射宿

先生は釣りはしたが、やたらと釣り過ぎるようなことはしなかった。狩りはしたが、巣篭もりしている鳥は射なかった。

●述而-27
子曰、蓋有不知而作之者、我無是也、多聞擇其善者而從之、多見而識之、知之次也

先生がこう言っていた。
もの知りでもないのに創作する者もいようが、私はしない。多くを聞いて選択し、たくさん見て覚えておく。これは物知りでは無いまでもその次だと思う。

●述而-28
互郷難與言、童子見、門人惑、子曰、與其進也、不與其退也、唯何甚、人潔己以進、與其潔也、不保其往也

ちかくの村から悪ガキがやってきた。その子が先生と面会したのだが、後に弟子が追い払った。

先生はこれを聞きこう言ったという。
そりゃひどい。来る者は拒まない事だ。人が誠実な心で近づいてくれば、その誠実さを買うのだ。ただし非道に走ったときには行動を共にしない。

*(融通の利かない頭の固いお子様がやってきた)という意訳もあり


●述而-29
子曰、仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣

先生がこう言っていた。
夢は遠い所にあって到達はできないのだろうか?いや、夢を目指して歩きつづければ、夢の方からやってくるものだ。

*(厳密には、夢は仁のこと)


●述而-30
陳司敗問、昭公知禮乎、孔子對曰、知禮、孔子退、揖巫馬期而進之曰、吾聞、君子不黨、君子亦黨乎、君取於呉、爲同姓謂之呉孟子、君而知禮、孰不知禮、巫馬期以告、子曰、丘也幸、苟有過、人必知之

陳の国の司敗が、魯の国王は礼をわきまえていましたか。と尋ねた。
先生は、礼をわきまえておられた。と答えた。

司敗が仲介人を通して言う。私は立派な人はひいきをしないと聞きましたが、立派なひとでもひいきするのですか?魯の王は以前礼を破った事がありました。この王が礼をわきまえていたとすると、礼をわきまえない人などおりましょうか?

これを聞いた先生は、ハッとしてこう言った。私は幸せだ、過ちをおかすと気付いてくれる人がいる。

●述而-31
子與人歌而善、必使反之、而後和之

先生は人と一緒に歌われて、相手が上手いと、それを聴き、その上で合唱された。

●述而-32
子曰、文莫吾猶人也、躬行君子、則吾未之有得也

先生がこう言っていた。
勤勉では私も人並みだが、実践しているかといわれれば、未だ不十分だな。

●述而-33
子曰、若聖與仁、則吾豈敢、抑爲之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣、公西華曰、正唯弟子不能學也

先生がこう言っていた。
聖とか仁などというものは、とても私の及ぶ所ではないけども、その道を目指し、人に教えて怠らないという事は、人に言ってもらっても良いかな。

公西華は言った。それこそ我々の真似できない事です。

●述而-34
子疾病、子路請祷、子曰、有諸、子路對曰、有之、誄曰、祷爾于上下神祇、子曰、丘之祷之久矣

先生が病気になったとき、子路がお祈りしたいと願った。
先生はこう言った。そう言うのがあるのかい。

子路が答える。あります、誄の言葉に『なんじのことを天地の神々に祈る。』とみえます。

先生は言った。そんなにたくさん祈らんでおいてくれ。

●述而-35
子曰、奢則不孫、儉則固、與其不孫也寧固

先生がこう言っていた。
贅沢な暮らしに慣れると傲慢になり、つましい暮らしがすぎると片意地になる。傲慢よりも片意地の方がましかな。

●述而-36
子曰、君子坦蕩蕩、小人長戚戚

先生がこう言っていた。
立派な人は、のびやかに、ゆったりしている。立派でない人は、いつまでもクヨクヨし、こせついている。

●述而-37
子温而勵、威而不猛、恭而安

先生は、温和だが厳しく、威厳があるが威圧感が無い。礼儀正しいが堅苦しくない。

8 泰伯篇
●泰伯-01
子曰、泰伯其可謂至徳也已矣、三以天下譲、民無得而稱焉

先生はこう言っていた。
泰伯こそは最高の徳といってもよろしかろう。どうあっても王位を継ごうとはせず、弟に譲ったが、それを目立たないようにやったので、人々から称賛も無いほどであった。

●泰伯-02
子曰、恭而無禮則勞、愼而無禮則子思、勇而無禮則亂、直而無禮則絞、君子篤於親、則民興於仁、故舊不遺、則民不偸

先生がこう言っていた。
丁寧なのは良いが、礼の心得がないと、やたらに気苦労するだけとなる。慎重なのは良いが、礼の心得がないと、ビクビクするだけになってしまう。勇しいのは良いが、礼の心得がないと、乱暴に受けとらてしまう。素直なのは良いが、礼の心得がないと、冷酷なことになってしまう。上に立つものが親族を大事にすれば人民も親族を大事にする事になり、昔馴染みを忘れなければ、人民も人情味豊かになるだろう。

●泰伯-03
曾子有疾、召門弟子曰、啓予足、啓予手、詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰、而今而後、吾知免夫、小子

曾子が病気になったとき、弟子を呼んでこう言ったという。
私の手足を見てごらん、傷が無いだろう。私は今まで負傷しないかと心配で、「戦戦兢兢として深淵に臨むがごとく、薄氷を踏むがごとし」という詩のように、いつもビクビクしてきたが、これからはもうその心配もいらなくなったようだ。

●泰伯-04
曾子有疾、孟敬子問之、曾子言曰、鳥之將死、其鳴也哀、人之將死、其言也善、君子所貴乎道者三、動容貌、斯遠暴慢矣、正顔色、斯近信矣、出辭氣、斯遠鄙倍矣、邊豆之事、則有司存

曾子が病気になったとき、孟敬子が見舞いに行った。そこで曾子はこう言ったという。
鳥がこの世を去る時の鳴き声は哀しいし、人がこの世を去る時の言葉は実がこもっています。ですから私の言葉をどうかお聞きください。

人の上に立つときに礼は大切です。礼にかなった言行をなさる事です。礼にかなった起居動作を心がけるのが、心を優しくする第一歩です。礼にかなった表情をする事が、人間関係の第一歩です。礼にかなった言葉遣いをする事が、教養の第一歩です。

お祭りのお供え物を気遣う姿は上に立つものとしての礼とは言い難いです。

●泰伯-05
曾子曰、以能問於不能、以多問於寡、有若無、實若虚、犯而不校、昔者吾友嘗從事於斯矣

曾子が言っていた。
自分の才能はひけらかさず、自分より才の無い者にも意見を求める。また、自分の知識はひけらかさず、自分より知識の無い者にも教えを受ける。持っていてもそれを誇示せず、もっていないようにふるまう。充実していてもそれを自慢せず、空っぽのように見せる。他人から害を受けても仕返しをしない。

亡き友、顔回とはこういう人だった。

●泰伯-06
曾子曰、可以託六尺之孤、可以寄百里之命、臨大節而不可奪也、君子人與、君子人也

曾子が言っていた。
幼い孤児を安心して預ける事のできるような人物なら、政治を任せる事もできる。これは立派な人だ。

●泰伯-07
曾子曰、士不可以不弘毅、任重而道遠、人以爲己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎

曾子が言っていた。
エリートは広い視野と強靭な意志をもたなければならない。その任務は重く道は遠い。

●泰伯-08
子曰、興於詩、立於禮、成於樂

先生がこう言っていた。
詩を読む事で心を生き生きさせ、礼を心がける事で社会性を身に付け、音楽に親しむ事で人として成長する。

●泰伯-09
子曰、民可使由之、不可使知之

先生がこう言っていた。
人民を従わせる事はできるが、理解させるのは難しい。

●泰伯-10
子曰、好勇疾貧、亂也、人而不仁、疾之已甚、亂也

先生がこう言っていた。
血気盛んで、貧しさに耐えられない場合反乱が起きる。相手が不仁な人物でも、それを憎みすぎると、開き直って反乱を起こす。

●泰伯-11
子曰、如有周公之才之美、使驕且吝、其餘不足觀也已矣

先生がこう言っていた。
たとえ凄い才能があったとしても、傲慢でしかもケチとくれば、もうそれだけで見込みが無いな。

●泰伯-12
子曰、三年學不至於穀、不易得也已

先生がこう言っていた。
すこし学問を覚えた大抵の者が就職の事を考えはじめる。

●泰伯-13
子曰、篤信好學、守死善道、危邦不入、亂邦不居、天下有道則見、無道則隠、邦有道、貧且賤焉、恥也、邦無道、富且貴焉、恥也

先生がこう言っていた。
深く信じて学問を好み、才能をみがく。危険な所へは行かず、留まらない。平時に於いては表立って行動し、不正がはびこっている時には、ひっそりと過ごす。才能があって平時で重く用いられないのは問題で、不正が横行している時に出世するのもまた問題だ。

●泰伯-14
子曰、不在其位、不謀其政也

先生がこう言っていた。
自分の範疇でないものに、口出しするまえに、自分の職務を果たす事だ。

●泰伯-15
子曰、師摯之始、關雎之亂、洋洋乎盈耳哉

先生がこう言っていた。
楽官の摯の歌い始め、関雎の楽曲の終わりは、のびのびと美しく耳いっぱいにひろがるねえ。

●泰伯-16
子曰、狂而不直、同而不愿、椌椌而不信、吾不知之矣

先生がこう言っていた。
一つの事に夢中なのだが、素直さが無い者。まだ一人前でもないのに、不真面目な者。朴訥でありながら、ずるいところがある者。うーん。これらは手のつけようが無いね。

●泰伯-17
子曰、學如不及、猶恐失之

先生がこう言っていた。
物事はいくら探求してもこれでよいということはない。なお見失っていることがないかと心配するぐらいでなければならない。

●泰伯-18
子曰、巍巍乎、舜禹之有天下也、而不與焉

先生がこう言っていた。
なんと山のように高く大きい存在ではないか。古代の王、舜や禹は天下を得たが、自分では手を下さなかった。

●泰伯-19
子曰、大哉、尭之爲君也、巍巍乎唯天爲大、唯尭則之、蕩蕩乎民無能名焉、巍巍乎其有成功也、煥乎其有文章

先生がこう言っていた。
偉大だね。尭の王としてのありさまは、堂々としてただ天だけが偉大であるのに、伸び伸びと広やかで人民には言い表しようがない。尭こそはそれを見習われた。堂々として立派な業績を打ち立て、輝かしくも礼楽制度を定められた。

●泰伯-20
舜有臣五人、而天下治、武王曰、予有亂臣十人、孔子曰才難、不其然乎、唐虞之際、於斯爲盛、有婦人焉、九人而已、三分天下有其二、以服事殷、周之徳、其可謂至徳也已矣

舜には五人の臣下がいてそれで天下が治まった。周の武王の言葉に「自分には治めてくれる者が十人いる」とある。

先生は言った。
人材は得がたいというが、その通りだ。武王の父の文王は西方諸国の旗頭となり、天下を三つに分けたその二つまでを握りながら、
なお殷に従って仕えていた。周の徳はまず最高の徳だといってよろしかろう。

●泰伯-21
子曰、禹吾無間然矣、菲飮食、而致孝乎鬼神、惡衣服、而致美乎黻冕、卑宮室、而盡力乎溝洫、禹吾無間然矣

先生はこう言っていた。
禹は言う事無しだ。飲食を切り詰めて神々に、お供え物を立派にして真心を尽くし、衣服を質素にして祭りの黻や冕を十分立派にし、住いは粗末にして潅漑の水路のために力を尽くされた。禹は私には非の打ち所がない。
 
 

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