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天声人語(2017年3月)

来源:asahi 作者:日语港 时间:2017-04-02 阅读:4596
(天声人語)エジソンのライバル
2017年3月31日05時00分
    電球、蓄音機、映画……。電気製品や機器の開発に名を残す発明王エジソンだが、見通しを大きく誤ったことがある。電気を送る方式は直流がすぐれていると主張して、交流方式と競った。「電流戦争」と呼ばれる19世紀後半の規格争いである▼エジソンは、交流によって送られる高圧電流は危険きわまりないと、激しい批判を繰り広げた。しかし、直流は効率にまさる交流にかなわなかった▼エジソンを負かしたのが実業家ジョージ?ウェスチングハウスだった。その彼のおこした会社が現在のウェスチングハウスにつながる。長く名門原発メーカーとして知られたが、経営が悪化した。親会社の東芝がグループから切り離すと決め、倒産に追い込まれた▼東芝が買収した2006年は原発が再評価された時期で「原子力ルネサンス」ともいわれた。しかし福島の事故の後は安全規制が強化され、原発ビジネスは割の合わないものになりつつある。それに気付かなかったか、見えないふりをしていたか。代償は1兆円の赤字である▼エジソンを破った交流方式を手がけたのが、ニコラ?テスラなる発明家だ。20世紀の初めには早くも石炭の枯渇を憂え、太陽熱、風力、地熱の可能性を論じた。自然エネルギーの祖ともいわれる(新戸雅章〈しんどまさあき〉著『知られざる天才ニコラ?テスラ』)。1世紀前の卓見である▼電力の歴史が、再生エネルギーへと一歩ずつ動いていく。そんな過程のエピソードだと、今回の倒産劇もとらえられるのではないか。

(天声人語)富岡は負けん!
2017年3月30日05時00分
 「富岡は負けん!」と書かれた横断幕が、福島県富岡町を走る国道6号の歩道橋に掲げられている。幅3メートル余りの白地に躍る黒い字は、いかにも骨太で力強い。原発事故で町から全住民が追われた5カ月後に登場した▼戻れるのか、暮らしはどうなるのか。当時は全く見通せず、無力感が人々を覆った。町のホテル経営者平山勉(つとむ)さん(50)は思い立って、手書きの幕を無人の町に掲げた。「何もできないわけじゃないと言いたかった」▼NTT東日本のライブカメラで画像が中継される交差点を選び、避難先から人々が見られるようにした。いまの横断幕は2代目だ。初代は福島県立博物館が保管しており「震災遺産」として仙台、東京でも展示された▼富岡町は来月1日、避難指示が一部解かれる。筆者が初めて訪れた4年前と比べると確かに復旧してきた。津波で壊れた駅周辺は見違えるほど工事が進み、新たに商業施設もできた。ただ、雑草が茂り、荒れ果てたままの家屋も少なくない。町を再びつくり直し、未来につなぐ苦労は計り知れない▼いま、平山さんは「自分は町で頑張る姿を見せたい」と語る。「戻る人も戻らない人も、それぞれが幸せと安らぎを取り戻してほしい。その形が変わっていても」。歩道橋を元の状態に戻すため、幕は取り外される。それでも、負けずに歩もうとする人々の胸に残り続けるはずだ▼あす夜、平山さんらは町内の公園に集まる。竹の灯籠(とうろう)を並べて灯(とも)し、この言葉をつくる。「富岡は負けん!」

(天声人語)パン屋でなく和菓子屋
2017年3月29日05時00分
 天ぷらといえば、すしと並んで和食の代表選手であり、海外でも人気のメニューである。もっとも、その起源には諸説があり、ポルトガルから伝来したとの説がかなり有力だと、原田信男著『和食と日本文化』で学んだ▼どうも17世紀ごろ伝わったようで、語源もスペイン語系のTemporaだとする説を紹介している。日本は早くから、よその国の料理を取り入れ、食文化を豊かにしてきた▼パン食も定着し、近所にお気に入りのパン屋をお持ちの方もおられよう。ところがそんなパン屋が教科書からはじき出されたのだという。小学校道徳の教科書検定の結果、「にちようびのさんぽみち」との教材に登場していた「パン屋」が「和菓子屋」に変更された▼学習指導要領が求める「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」との点が不足すると文部科学省が指摘し、出版社が修正した。パン屋では日本らしさが欠けるということか。同様の理由で、公園の遊具が和楽器の店に差し替えられた▼もう50年以上前だが、評論家の加藤周一が仏教伝来や洋服などを例に、日本は雑種文化であると論じた。「日本精神や純日本風の文学芸術を説く人はあるが、同じ人が純日本風の電車や選挙を説くことはない」と書き、偏狭な日本主義者を批判した▼和菓子や和楽器にすがって国や郷土への愛を説くとすれば、滑稽というほかない。本質よりも体裁にこだわる大人たちの姿である。まさか反面教師としての教育の一環ではあるまい。

(天声人語)那須で雪崩災害
2017年3月28日05時00分
 栃木県の那須高原に移り住んだ作家の谷恒生(こうせい)が、かの地での春の訪れを書いている。吹き渡る風がやわらかくなってくる。きつね色の枯れ草におおわれた田のあぜに、ところどころ、あわい緑が顔を出す▼ヨモギがひっそりと息づき始めると、それを合図に、フキノトウやツクシ、早咲きのタンポポがわれもわれもと姿を現す。那須の山はまだ雪に覆われているが、「朝日に映えたまばゆいかがやきには、どことなく春の優しさがこもっている」(『カッコウの啼〈な〉く那須高原の森陰から』)▼そんな春はすぐそこまで来ているはずなのに、この山の冷たく厳しい一面を見せつけられた思いがする。きのうの午前、那須のスキー場で雪崩が起き、登山の講習会に参加していた高校生や教員が巻き込まれた。生徒7人と教員1人の命が、失われてしまった▼安全な登山を学ぶというのが、講習会の目的だった。助けられた40人も全員がけがをしたというから、どれほど大規模な雪崩だったか。逃げる間もなく襲われたときの恐怖は計り知れない▼天候の悪化のため、予定していた登山ではなく雪をかきわけて進むラッセル訓練に切り替えたという。ただ、おとといから雪崩や大雪の注意報が出ていた。すべてを取りやめて山を下りる判断をするのは、難しかったのだろうか▼生徒たちは技術の向上のために、七つの高校の山岳部から参加していた。指導する先生たちに寄せられた信頼の重さを思う。最悪の事態を防ぐことはできなかったのか。

(天声人語)卒業の日に
2017年3月27日05時00分
 大学の卒業式の帰りなのだろう。ここ数日、華やかな袴(はかま)姿を電車で目にする。高校も大学も式が堅苦しかったことしか覚えていないが、こんな柔らかな語りなら聞いてみたかった。米国の大学に何度も招かれた作家カート?ヴォネガットの卒業式講演集『これで駄目なら』を手にした▼偉大な勝利でなく、日々の暮らしにあるささやかで素晴らしい瞬間に、気付くことが大事だと彼は説く。木陰でレモネードを飲むとき。パンの焼ける匂いがするとき。魚釣り。漏れ聞こえる音楽に耳を澄ますとき▼小学校入学からこの日までに、暮らしを楽しいものにしてくれて、誇りを与えてくれた先生に出会ったことのある人はどれだけいるだろうか。そう尋ねて手を挙げさせたこともある。「今度は、その先生の名を、誰か、君の横にいる人に伝えよう。できたかね? おめでとう。気をつけて家に帰りたまえ」▼心の底から自分の先生だと思える1人。長いようで短い学校時代に会うことができれば幸せだろう。つらいときや迷ったとき、何を語っていたかを思い出す人に▼我が身を振り返ると、とある歴史学者がいた。「歴史上の出来事を理想化してはいけない」と教えてくれた。明治のころの民衆蜂起に心酔しそうになった若者への戒めだったのだろう。歴史に限らず人物でも社会運動でも、これこそ正義だと思いそうになったときに、かみしめている▼1人も出会わなかったって? 大丈夫。社会に出てから、いくらでもチャンスはある。


(天声人語)沖縄戦の90日間
2017年3月26日05時00分
 ちょうどいまごろから咲く沖縄の県花デイゴは炎のような色をしている。《でいごの花が咲き、風を呼び、嵐が来た》。90年代のヒット曲「島唄」は、沖縄のひめゆり学徒隊の話を聞いた衝撃からつくられた。「自分の無知に怒りがこみ上げた」とボーカルの宮沢和史さんは振り返っている▼72年前のきょう、沖縄戦は始まった。慶良間諸島に米軍が上陸し、水面を埋める艦艇で海は黒く染まった。ありったけの地獄を集めたと形容された地上戦は90日間続く▼沖縄戦は、運命の分かれ道が延々と続く。始まりや終わりだけを知っても、体験者の本当の苦しさは理解できない。そんな思いから、日米の記録や住民の証言などをもとに、一日ごとに何が起きたのかをたどったことがある▼3月28日の集団自決に居あわせた女性は証言する。「私の頭部に一撃、クワのような大きな刃物を打ち込み、続けざまに、顔といわず頭といわず……目を開いて、私は私を殺す人を見ていたのです」(『沖縄県史』)▼叫ぶ。泣く。燃やす。ためらう。命ずる。死ぬ。記録をめくるたびに「これが戦争だ」と違う側面を突きつけられる。沖縄戦で亡くなった日米の軍人や地元の住民は、約20万人。それぞれの形の「戦争」があった▼沖縄は、本土を守る「捨て石」として戦場となった。その体験を共有することは簡単ではない。それでも想像力を働かせることはできる。6月23日の「慰霊の日」までの90日間。心のタイマーを72年前に合わせてみたい。



(天声人語)ファクス久々の脚光
2017年3月25日05時00分
 いまから89年前、昭和天皇の即位行事をめぐり、新聞社間で激しい競争が繰り広げられた。いかに写真を早く鮮やかに電送し、全国一斉に掲載できるか。この競争で本紙は毎日新聞に完敗を喫した▼毎日は皇居で撮った写真をすぐ大阪へ送り、号外を印刷した。ファクスの誕生である。後に東京電機大の初代学長を務める丹羽保次郎らが開発した(『技術は人なり。』)▼最近はメールに押されてかすみがちだったが、ここに来てファクスが恐ろしいほど存在感を放つ。一昨年、安倍昭恵首相夫人付の職員が送った1通のファクスで国会が大揺れである。「財務省本省に問い合わせ、国有財産審理室長から回答を得ました」。文面は簡にして要を得ている▼「依頼とか不当な圧力ではまったくない」。ファクスについて、安倍晋三首相はきのう再三釈明したものの、およそ説得力に欠ける。「内閣総理大臣夫人付」を名乗る職員が森友学園の意向を伝えた時点で、官邸からの働きかけと受け止めるのが自然だろう▼ファクスの全盛期、「送信したら相手に確認の電話を」と言われたことを思い出す。あの職員も緊張しながら宛先番号のボタンを押し、送信後は律義に着信を確かめたのだろうか▼〈FAXで送られてくる字の細さ疲れたひとは物陰にゐる〉黒木三千代。渦中の送り主は経産省職員と聞く。いまはさぞ身も細るような思いだろうと想像する。今世紀の日本でこれほどの耳目を集めるファクスは、もう出現しないかもしれない。


(天声人語)証言は小説よりも奇なり
2017年3月24日05時00分
 国会の証人喚問というと思い出す場面がある。1979年、戦闘機売り込みをめぐる政界工作の疑惑の渦中にあった大手商社の副社長が、緊張のあまり署名に手間取る。「書けない」との呻(うめ)きをテレビが拾った▼きのうの国会で籠池泰典?森友学園理事長はさらさらと署名した。質問する議員をにらみ「的外れと思います」。自信ありげに眉を上下させて「事実は小説よりも奇なり」と言い放つ。堂に入ったものである▼証言で驚いたのは、やはり100万円の場面だった。安倍昭恵首相夫人と一対一の場でもらったと籠池氏は述べた。付き添い職員を外させることを「お人払い」、封筒の中の現金を「金子(きんす)」と呼ぶ。まるで時代劇である▼籠池氏は敬愛する幕末の思想家吉田松陰にも言及。設立予定だった小学校の名に首相の名を付そうとした理由を語った。「松下村塾が念頭にありました。同じ長州出身で以前から教育理念に共感していただいている首相に敬意を表したいと思った」▼〈至誠(しせい)にして動かざる者は未(いま)だ之(こ)れ有らざるなり〉。誠の心で強く訴えかければ、相手は必ず動く。松陰が信奉していた孟子の言葉だ。経営する幼稚園のサイトで籠池氏も引用する。証言で実名を挙げられた政治家や役人たちは、籠池氏流の強い訴えを受けてどう動いたのか▼国有地購入など小学校開設の準備は不自然なほど順調に進んでいた。「神風が吹いた」という籠池氏の表現は正しくない。権力と思惑にまみれた暴風と呼ぶべきではないか。


(天声人語)津波被災パトカー
2017年3月23日05時00分
 引っ越し作業が続く福島県警双葉署を訪ねた。ここは福島第一原発から約9キロ。6年前の事故であたりの人々はみな避難させられ、警察署も隣町の「道の駅」に仮住まいしてきた。今月末、ようやく元の庁舎で本格的に仕事を再開する▼署のすぐ隣の児童公園にはパトカーが1台、保管されている。ハンドルは折れて曲がり、ワイパーが柳のように垂れさがる。サイレン灯もなければ、車体に「警察」の文字もない。一目見るだけで、津波のすさまじい破壊力を実感させられる▼6年前の3月11日、署員2人がこのパトカーに乗り込み、海岸付近で住民に避難を呼びかけた。「車を置いて早く避難を」。2人は津波にのみこまれる。うち1人はいまなお行方不明のままである▼パトカーは沿岸部に残されていた。いつしか簡素な祭壇が設けられ、住民はもちろん、遠く県外から派遣された警官たちも手を合わせた。住民らから保存を求める声があがり、2年前に公園へ移された▼「想像を絶する津波が迫る中、自らの命を犠牲にして住民を救おうとした。そんな警察官のことをパトカーは後の人々に伝えてくれる」。双葉署復興支援係の寺坂健警部補(30)は話す▼この春、署がある富岡町でも避難指示が一部で解かれ、住民の帰還が始まる。もとの家に戻れない人々にとっても、わが町に警察署があるという安心感は大きいだろう。もう人の乗ることのないパトカーの脇には、色鮮やかなユリやキク、2本の缶コーヒーが供えられていた。


(天声人語)治安維持法の下の暮らし
2017年3月22日05時00分
 やさしい「父(とう)べえ」は大学を出たドイツ文学者。戦時体制下で治安維持法に背く「思想犯」として逮捕され、長く拘束される。家族との連絡は検閲された手紙だけ。妻子は困窮する。2008年の映画「母(かあ)べえ」である▼治安維持法は1925(大正14)年4月にできた。当初は共産主義を抑え込むための法律だったが、取り締まりの対象は言論人や芸術運動にまで広がった▼法律制定にあたり、ときの内相若槻礼次郎は「抽象的文字を使わず具体の文字を用い、決してあいまいな解釈を許さぬ」と答弁した。司法相の小川平吉は「無辜(むこ)の民にまで及ぼすというごときことのないように十分研究考慮を致しました」と説明した▼90年以上たったいま、国会で似た答弁をしきりに聞く。犯罪を計画段階で罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ法改正案に対する安倍晋三首相の説明だ。「解釈を恣意(しい)的にするより、しっかり明文的に法制度を確立する」「一般の方々がその対象となることはあり得ないことがより明確になるよう検討している」。その法案がきのう閣議決定された▼3度も廃案となった法案である。時代や状況は違っても、政府とは何かと人々を見張る装置を増やそうとするものなのか。政治権力の本能を見た思いがする▼「母べえ」が描くのは、捜査機関の横暴だけではない。法と権力を恐れ、ふつうの人たちが監視する側に回る。秩序や安全を守るという政府の声が高らかに響き、社会はじわじわと息苦しさを増していく。



(天声人語)永遠の10代
2017年3月21日05時00分
 10代で熱心に聴いた曲は年齢を重ねても耳に快く響く。筆者の場合、米国の流行歌から入ってその源流とも言うべきチャック?ベリーの曲にたどり着き、一時どっぷり浸った▼演奏のまねは早々にあきらめたが、歌詞にひかれた。飾りのない声が伝えるのは、好きな車、嫌いな教師、失恋、家出、黒人差別……。軽快なリズムの奥に米国の10代の鬱屈(うっくつ)が見えた▼ベリー氏自身、荒れた青春時代を送った。置き引き、万引き、空き巣を重ねた。仲間と家出をし、車を強奪して捕まる。少年院に収容中、コーラス団をつくりゴスペルを歌った。クラブでの演奏で稼げるようになったのは出所した後である▼高校生活の思い出を歌った「メイベリーン」が当たり、20代末で全米デビューした。「ジョニー?B?グッド」「ロール?オーバー?ベートーベン」で名声をつかむ。その後も脱税事件で世間を騒がせたが、彼の音楽はビートルズなど後の世代の魂を揺さぶり、超えるべき目標となった▼そのベリー氏が先週末、ミズーリ州の自宅で亡くなった。90歳。新作アルバム「チャック」が6月に出る予定だった。衰えぬ創作意欲に驚く▼訃報(ふほう)に接して、久々に歌詞を読み直した。「読み書きはうまくできないけれど、ギターなら鐘を鳴らすみたいに弾ける」「ベートーベンをぶっ飛ばせ。チャイコフスキーに教えてやろう」。その生涯を貫いたのは10代のころと変わらぬ無鉄砲さか。それとも権威に屈しない健全な反逆精神と呼ぶべきだろうか。



(天声人語)福寿草の里を歩く
2017年3月20日05時00分
 北アルプスをあおぐ小高い丘を福寿草の黄色が鮮やかに染めあげる。長野県松本市の四賀(しが)地区は信州でも指折りの福寿草の群生地である。きのうも約2500人の客でにぎわった▼恒例「福寿草まつり」は今年がちょうど25年目。数十万株が自生する段丘を住民らが丹念に整備してきた。草を刈り、遊歩道に木材チップを敷き、案内板をたてる。期間中はそばやカレーの店も出る▼〈地面から宙がはじまる福寿草〉宮坂静生(しずお)。地面に顔をよせてみると、黄色の花ばかりではない。金色に近いものもある。陽光を吸い込んで体内で濃縮したかのような輝きを放つ▼「北向きの斜面で長く雪の下にあった株は茎が太く、濃い色の花が咲く。あまり早くに日を浴びて咲き出した株はひょろひょろです。花の色も濃くなりません」。まつりの主催メンバーのひとり金井保志(やすし)さん(70)は話す。幼いうちから甘やかして日のあたる場にばかり置くと、たくましく育たない。人にも通じる教えだろう。〈裏山にゑくぼの日ざし福寿草〉成田千空(せんくう)▼この地区は、平成の合併までは四賀村と呼ばれた。養蚕や葉タバコ栽培の農家が多かった。松本市に編入されて、村の名が消える。かつて1万を数えた人口も半減した。逆に増えたのはシカだ。推定800頭が畑を荒らす▼きょうは春分の日。予報によれば信州地方は好天に恵まれそうだ。〈青空の端に出されし福寿草〉千葉皓史(こうし)。四賀の里ではきょうも、視界いっぱいに空の青と花の黄が広がることだろう。



(天声人語)選手宣誓は人生の糧
2017年3月19日05時00分
   春の甲子園がきょう幕を開ける。近年は選手宣誓の言葉に工夫が凝らされ、開会式を見る楽しみが増えた。ひところの絶叫調は影をひそめた。耳になじむ柔らかな語りが最近の主流らしい▼「私たちは16年前、阪神?淡路大震災の年に生まれました。いま東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです」「生かされている命に感謝し(略)正々堂々とプレーすることを誓います」。6年前、東日本大震災が起きた年の選抜大会の宣誓は忘れがたい。列島が不安に包まれた3月、人々の胸にまっすぐ響いた▼「仲間の知恵を借りて必死で宣誓文を練りました」と創志学園(岡山県)の主将だった野山慎介さん(22)。被災地、仲間、感謝の3語は外したくないと考えた。監督にも筆を入れてもらった。宣誓を聞いた人々から共感の手紙が続々と学校に届いた▼当時、高1だった野山さんも春からは社会人。就職戦線に臨んで実感したのはあの経験がかけがえのない宝物であること。「宣誓は人生最高の舞台でした」と面接で胸を張った▼そういえば、「安倍首相がんばれ」などと宣誓させられた幼稚園児たちもいた。幼稚園の運動会であるのなら、かけっこや玉入れにかける意気込みを園児らしい言葉で語ってほしかった▼自分で選(え)りぬいた自分の言葉ならきっといつか人生の糧になる。きょうの開会式では作新学院(栃木県)の選手が宣誓の大役をになう。若者らしい希望の言葉を甲子園の空に響かせてほしい。



(天声人語)情報を軽んじる組織
2017年3月18日05時00分
 太平洋戦争中の1944年、台湾沖航空戦と呼ばれる戦闘が起きた。鹿児島の前線基地で、米軍艦船を沈めたとする戦果が次々と黒板に書かれていった。「撃沈」「轟沈(ごうちん)」。生還したパイロットたちの報告に疑問を持ったのが情報参謀の堀栄三だった▼「どうして撃沈だとわかったか?」。根拠を問い詰めると、あいまいな答えばかりが返ってくる。「この成果は信用出来ない」と大本営に電報を打ったと『大本営参謀の情報戦記』で述べている▼しかし堀の電報は重視されなかったようだ。国民には華々しい戦果が発表され、米軍が受けた損害を過大に見積もった上での作戦が組み立てられた。好ましい情報は誇張し、都合の悪い情報は軽んじる。そんな姿勢は、あまりに多くの日本兵の死をもたらした▼旧日本軍と同列には語れないが、過去の教訓が生かされていないのではと心配になる。南スーダンでの陸上自衛隊の活動を記した日報の扱いである。存在するのに「廃棄した」として情報公開の求めを拒み、データの削除までしていた疑いが明るみに出た▼「宿営地5、6時方向で激しい銃撃戦」などと書かれた日報である。自衛隊派遣を続けるのに支障になると誰かが忖度(そんたく)し、なかったことにしようとしたか。目先の都合を優先し事実や報告をないがしろにする体質が透けて見えないか▼何も知らされていないと言う稲田朋美防衛相が、組織を統率できていないことは明らかだ。そのもとで、事実はどこまで解明できるのだろう。


(天声人語)オランダの総選挙
2017年3月17日05時00分
 オランダといえば風車だが、その一つが投票所として使われるようすが、英BBC放送で伝えられていた。15日にあった総選挙で、有権者が徒歩や自転車で大きな羽根のある風車へと向かっていた。何とも穏やかな風景である▼とはいえ選挙戦は牧歌的どころではなかった。移民排斥や欧州連合(EU)からの離脱を主張する右翼?自由党が台風の目となった。徹底した「反イスラム」の姿勢をとり、礼拝所のモスクの撤去や聖典コーランの発行禁止まで掲げた▼議席は伸ばしたものの、一時予想された第1党に達することはなく、第2党となりそうだ。排外主義の広がりに歯止めがかかったと解釈したいところだが、党首のウィルダース氏は「愛国主義の拡大は止まらない」と語っている▼「1人党員」で組織も持たない党首が、ツイッターで訴えるスタイルが注目された自由党である。同時に目を引いたのは、年金支給開始の年齢を引き下げるなど福祉への姿勢だ。一定の所得以下の人への給付金を掲げるフランスの国民戦線など、欧州の排外主義勢力に広がる傾向である▼これらの右翼政党の姿勢は「福祉排外主義」と呼ばれる性質をはらむ。福祉の維持を訴えつつ、その恩恵から移民を排除しようとする。成長の鈍化に伴い福祉国家の果実を実感できなくなっている不満を、すくい取ろうとする動きだろう▼敵を作って人々をあおる政治。今後の仏独の国政選挙でも有権者が向き合う難題であろう。けっして対岸の火事ではない。


(天声人語)防衛相の記憶と忘却
2017年3月16日05時00分
 1980年12月19日は学校のあと午後7時までベビーシッターのアルバイトをした。翌年の同日に会った人は灰色のセーターを着ていた。翌々年の同日は……。米国のジル?プライスさんは、8歳の頃からの毎日の生活を鮮明に思い出すことができるという▼「超記憶症候群」という症状だそうだ。楽しいことばかりならいいが、侮辱された記憶や悲しみまで再生される。「胸がえぐられるような思いを何度も繰り返すのはほんとうにつらい」と、著書『忘れられない脳』にある▼想像もできない世界である。私たちは多くの出来事を忘れてしまい、気付かないうちに記憶を書き換えることもある。そんな不確かな記憶を堂々と主張していたのが、この方である▼国有地売却の問題で揺れる森友学園との関係を国会で問われ、稲田朋美防衛相は、「籠池泰典(かごいけやすのり)理事長夫妻から法律相談を受けたことはない」「裁判を行ったこともない」と断言していた。ほどなく学園の代理人弁護士として出廷していたことが判明した▼驚くのは、その後の発言だ。「私の記憶に基づいた答弁であって、虚偽の答弁をしたという認識はない」。ロッキード事件以来、国会でのごまかし発言といえば「記憶にありません」だが、その上を行く開き直りである▼勘違いで取引先に迷惑をかけた社員が「記憶に基づいた行動であって問題はない」と言い訳すれば、上司から大目玉を食らうだろう。忘却に基づく言動が不問に付される内閣とは、不思議な空間である。
(天声人語)おかしな関西弁と万博
2017年3月15日05時00分
 土佐弁は、男らしい感じがする。東北の言葉には、純朴な印象がある。世にそんなステレオタイプがあると書くと、出身の方に叱られるか。関西弁に面白いイメージがあるのは、お笑いの影響だろう▼こちらは面白いを通り越してインチキな印象である。2025年の大阪への誘致をめざす国際博覧会(万博)をめぐり、経済産業省が参考資料を関西弁で作った。「世界の人々が『もうかりまっか』言うて出会って、たこ焼き食べながら交流するような場であることも大事や」と、開催の意義を語る▼「偏見をほかして、『ぼちぼちでんな』と言い合える仲になる意義もデカいわな」ともある。親しみを持ってもらうためのようだが、何とも不自然だ。不適切な表現もあり、経産省は資料を撤回した▼もっとも標準語でまとめた報告書案にも首をかしげる箇所がある。例えば「万博婚」という取り組みをあげ、来場者の遺伝子データを突き合わせて出会いを応援するとしている。多様な民族の男女を同じ家に住まわせ、起きる出来事を番組として放映する案もある。確かに斬新ではあるが、いったい何をめざしているのだろうか▼政府は4月に立候補を閣議で了解する見通しだ。しかし、資金をどう調達するかの議論はこれから。万博と抱き合わせでカジノを含む統合型リゾートを誘致する方針には反対意見が目立つ▼「夢よもう一度」。半世紀前の大阪万博の輝きが忘れられないだけで突き進むならば、痛い現実に向き合うことになる。

(天声人語)50歳のゴール
2017年3月14日05時00分
 友人からは「いい年をして今更、なぜ社交ダンスなど習うんだね」とあざけられる。妻からは「年よりの冷や水」と言われる。50歳すぎでダンスの教習会に通う主人公は、老い始めた自分の肉体と向き合う。遠藤周作の1970年代の短編「五十歳の男」である▼若い人たちと一緒にステップを踏むことに疲労を感じ、あえぎながら坂をのぼる古い自家用車に自分を重ね合わせる。いま読むと老いるのがやや早いかとは思うものの、人生の峠を過ぎた悲哀が伝わってくる▼そんなたそがれとは無縁の人なのか。肉体も情熱も衰えを知らないかのような動きに驚く。サッカーの三浦知良(かずよし)さんがJリーグ史上初めて50歳でゴールを決めた。頭に白いものが交じりながらの疾走である。得点の後、独特のステップを踏むカズダンスも健在だった▼三浦さんは最近、雑誌「Number」でこう語っている。「身体の衰えはあるにしても、思っていること、やりたいことは若い頃から何も変わっていないんです」。試合に出られない悔しさは30年前と変わらないとの言葉もあった▼何歳になっても現役のままでボールを追いかける。長く生き、長く活躍が求められる現代での一つの生き方なのだろう。同世代としてまぶしく感じるのは、少し運動すると悲鳴を上げるようになった自分の体の変化ゆえか▼誰もがカズのように走り続けられるわけではない。それでも、彼の姿を見ていると、「落ち着くのはまだ早い」と背中を押される気がしてくる。



(天声人語)昆虫写真家の目
2017年3月13日05時00分
 アリの巣には一定の割合で働かないアリがいるとは聞いたことがある。しかし、ここまで何もしないアリの種類があるとは知らなかった。日本各地にいるサムライアリは、別の種類のアリの巣を乗っ取って働かせる。エサを集めさせ、口移しで食べさせてもらう▼働き手が不足すると、よその巣から卵や幼虫をさらってくる。昆虫写真家、山口進さん(69)の新著『珍奇な昆虫』には、虫たちがつくる「社会」が数多く描かれている。一方的に利用する関係もあれば助け合いもある▼蝶(ちょう)の一種クロシジミの幼虫は体から甘い汁を出してアリに与え、アリの巣で養ってもらう。「虫と虫の関係は様々。何だか人間と似ているでしょう」と山口さんは言う。共生をテーマに虫たちを追い、居住する山梨県そして世界を飛び回ってきた▼昆虫から始まり、関心は広がる。どの虫とどの植物の関係が深いのか。農業が虫にどう影響するのか。最近はトンボのアキアカネが育ちやすい伝統的な田んぼづくりに魅せられ、新潟県に足を運ぶ▼約40年にわたり「ジャポニカ学習帳」の表紙を飾ってきた虫や花の写真も、山口さんの作品である。しかしここ数年は「気持ち悪い」という声に押され、虫の写真はなくなった。一部の復刻版を除き、花だけである▼「子どもは虫が好きだと思う。でも先生や親に苦手な人が増えているのでしょう」と残念そうだ。昆虫を入り口に、自然や科学へと目が開かれる。そんな道はこれから細くなってしまうのだろうか。

(天声人語)愛する人への手紙
2017年3月12日05時00分

 「ママがそばにいなくて寂しくないですか? お友達とは仲良く一緒に遊んでいますか? ちゃんとご飯は食べていますか?」。6歳で命を落とした娘に向け母親が書いた手紙である。「夢の中でもいいので会いたいです、抱きしめたいです……」▼東日本大震災の記録として金菱清(かねびしきよし)?東北学院大教授が編んだ近刊『悲愛(ひあい)』は、愛する人たちへの手紙を集めている。夫の仏壇に毎日話しかける理由を妻が書く。そうしないと、将来しわくちゃの顔で会った時に「おまえは誰だ」と言われそうだからと▼「私達がここで笑ってる時はきっとアナタも上で一緒に笑ってるんでしょ」とは、姉が妹に贈る言葉だ。震災から6年。残された人たちには、喪失や悼みと向き合う時間がとどまることなく流れている▼あのとき「災後」の言葉は「戦後」になぞらえて語られていた。第2次大戦後の復興に肩を並べるような新しい国づくりが思い描かれた。その期待は惰性に取って代わられたかのようだ。原発避難者への心ない言葉や偏見もなくならない▼被災地の風景が変わり、経験の衝撃は時間とともに弱まる。記憶はおぼろげになり、いつかは忘れられる。だからこそ時折拾い上げ、見つめ直したい▼もし津波がここに来ていたら――。東京?銀座のビルには岩手県大船渡市を襲った高さを示す幕が掲げられていた。5階ほどの高さを見上げ、めまいを覚えた。買い物客らでにぎわう穏やかな週末である。日常のありがたさと、そのもろさを思う。



(天声人語)南スーダンの知恵
2017年3月11日05時00分
 南スーダンは半世紀に及ぶ内戦をへて2011年に独立した国である。独立前の内戦の悲惨さを切りとった写真を覚えている。飢えてうずくまる少女をすぐ近くでハゲワシが見つめる。1994年の米ピュリツァー賞を受賞した▼「南スーダンの首都ジュバで戦闘はない」。そう言い続けてきた政府が、唐突にジュバから自衛隊を撤収すると決めた。驚きの政策変更である▼現地の状況について政府の説明は破綻(はたん)気味だった。安倍晋三首相は「永田町と比べればはるかに危険」と珍妙な言い方をした。ジュバで戦闘があっても、稲田朋美防衛相は「国会答弁で憲法9条上の問題になる言葉は使うべきでない」と言い張り、戦闘だと認めなかった▼「駆けつけ警護」の任務を新たに与えてから、まだ4カ月もたっていない。積極的平和主義の名の下に憲法解釈まで変えて可能にしたのは何だったのか▼南スーダンにこんな昔話がある。牛と野牛が人間に母を狩られて憤る。野牛は「人間を片っ端から殺してやる」。牛は「人間に乳をやれば人間同士で殺し合う」。牛の読みは当たり、牛をめぐって人間は戦争を始める(『ライオンの咆哮〈ほうこう〉のとどろく夜の炉辺で』)。残念ながら、いまも民族間の争いは絶えない▼「平和の守り神として精強なる自衛隊を築き上げてほしい」。首相は昨秋、観閲式で述べた。生身の隊員たちが灼熱(しゃくねつ)の地で向き合う労苦より、「海外での自衛隊の活動拡大」という実績づくりが優先されたように思えてならない。

(天声人語)長靴をはけない政務官
2017年3月10日05時00分
 ぞうくんはひとりでは池を渡れない。好意に甘えてカバの背に乗る。水が深くなるとワニやカメにも支えてもらうが、重すぎて4頭は水中で転んでしまう▼絵本『ぞうくんのあめふりさんぽ』(なかのひろたか作)である。慌てたぞうくんが実は泳げたという結末なのだが、この人の場合は自ら沈む結果を招いた。内閣府政務官兼復興政務官を辞任する務台(むたい)俊介氏である。昨秋、高齢者9人が亡くなった岩手県の台風被災地に長靴を持たずに行き、政府職員に背負われて水たまりを渡った▼その務台氏は今週、自らのパーティーで驚きの発言をしていた。「その後、政府が持つ長靴がえらい整備されたと聞いている。長靴業界はだいぶもうかったんじゃないか」。猛省したものと思っていたが、見当違いだったらしい▼被災地の人々の感情を逆なでする失態からわずか半年で、あまりにお粗末な失言である。官邸もかばいきれないと判断したのか。そもそも革靴姿で水害の地へ向かった時点で、自覚が乏しかったと言わざるをえない▼消防庁防災課長という経歴を持つ方である。数々の災害現場で、消防や警察、自衛隊など一線をになう人々が長靴姿で奮闘する姿を見なかったのだろうか▼東日本大震災から間もなく6年。地震や津波、台風や豪雪など災害はやまず、それぞれの地で日々復興への取り組みが続く。政府の復興策を束ねる立場でありながら、務台氏には、日常を取り戻そうとする人々の思いをくみとる謙虚さが欠けていた。



(天声人語)長野五輪から学ぶこと
2017年3月9日05時00分
 寒風と歓喜の記憶はなお鮮明な人も多いだろう。1998年の長野冬季五輪とパラリンピックはメダルラッシュに沸いた。同時に、かさむ費用の問題も声高に論じられた▼五輪開催に対する長野の人たちの感じ方は大会の前と後でどう変わったか。奈良女子大の石坂友司(いしざかゆうじ)准教授(41)らはそんなテーマを研究した。2009年、長野市や白馬村など5市町村の住民3千人に調査票を送り、約800人が答えた▼浮かび上がったのは、女性より男性、若者より高齢者、低所得層より高所得層ほど賛成の声が多いという傾向。建設や運輸など五輪にからむ業界にはむろん賛成が多かった▼開催後も5市町村全体では7割ほどが賛成の立場をとる。だが子細にみると、閉幕後に賛成が増えたのは長野市だけ。4町村では軒並み、反対が倍以上に増えた。調査では「いまさら五輪のことは話したくない」という反応もあった。客室を増築した旅館や民宿の経営者らに失望の声が強かったと石坂さんは話す。同じ開催地とはいえ、「五輪後の風景」は人によりかくも違って見える▼さて東京五輪?パラリンピックである。選手村の跡地利用などを考えると、全国に32兆円もの経済波及効果が見込めるという試算を東京都が発表した。バラ色の未来を見たいとの希望はわかるが、はたして額面通りに信じてよい数字なのだろうか▼本番まで残り3年半を切った。期待の大風呂敷を広げたいのはやまやまだが、地に足がついた五輪後の風景を思い描きたい。



(天声人語)女性デーに男を考える
2017年3月8日05時00分
 娘が生まれ、育児に張り切る若い父親。自分の胸から乳が出ることを知り、授乳を始める。育児に無上の喜びを覚え、仕事を辞める。文芸誌「すばる」3月号に載った山崎ナオコーラさんの小説『父乳(ふにゅう)の夢』である▼男女の役割とされてきたことを逆にした育児の風景を淡々と描き、子育ての「常識」を次から次へと揺さぶる。読み進むにつれ、子育てには男女の分担が当然あるものだと考えてきた自分に気づかされた▼男の子は泣くな。ランドセルの色は黒か青。ままごとは女の遊び――。筆者も子どものころからそんな常識を全身に浴びてきた。「男たるものかくあるべし」という固定観念に縛られて生きてきた気がする▼「女房役」「内助の功」「男らしく堂々と」。十数年前の紙面を開くとそんな言葉が各面に躍っている。減りはしたものの、いまも時々顔をのぞかせる。筆者の書いた記事にも、男女の「らしさ」を強調した記述はいくつも見つかる▼「平日昼間問題」という言葉を最近知った。男性学を研究している武蔵大学助教の田中俊之さんの著書にある。平日の昼間、男性が住宅街をひとりで歩いていると好奇の目で見られる。働き方が多様化したとはいえ、男は毎日、仕事に出るものだという常識は根を張ったままだ▼これはつまり「平日家にいるのは女性である」との思い込みの裏返しだろう。この社会には「らしさ」という名の思い込みがいまなお満ち満ちている。国際女性デーは男性の生き方をも問う日である。

(天声人語)だれにでもやさしい文字
2017年3月7日05時00分
 いま紙面でお読みいただいているこの活字は縦3?3ミリ、横3?9ミリほど。読みやすい大きさと思われるだろうか、それとも小さすぎるとお感じだろうか▼読者の方々の要望を受け、本紙は何度か文字を大きくしてきた。書き手としては正直なところ、載せられる記事量が減ることにさびしさを覚えた。ところが自分も老眼になると、「なぜこんなに小さいのか」としみじみ思う▼「弱視のため新聞や本を読むと鼻先が黒くなる人もいる。ルーペを手に、顔をこすりつけるほど近づけて読むんです」。NPO大活字文化普及協会の事務局長を務める市橋正光(いちはしまさみつ)さん(43)は話す。読書に困難のある人々のために、一般の本よりも数倍大きい活字の本を刊行してきた▼4年前には、本の街として知られる東京?神保町に大活字専門の書店を開いた。村上春樹、東野圭吾、浅田次郎といった作家の作品を刊行してきた。高齢化が進んで目に悩む人が多くなり、引き合いが徐々に増えたという▼とはいえ、大活字本を取りまく環境は甘くない。1点ごとに出版社や著作者と契約交渉が欠かせない。文字が大きい分、ページが増えて割高になってしまう▼市橋さんの話を聞き、ふいにわが祖父のことを思い出した。晩年に視力が衰え、唯一の趣味だった読書がかなわないことを嘆きつつ亡くなった。老いも若きも目を酷使している現代社会である。いまから100年後、200年後の私たちは、どんなサイズの文字に囲まれて暮らしているのだろうか。



(天声人語)ウォーリーの作者を探せ
2017年3月6日05時00分
 何百、何千の群衆からただ一人、赤白横じまの服を着た男性を探す。絵本『ウォーリーをさがせ!』が世に出て今年で30年になる。各国で知られた作品だが、作者マーティン?ハンドフォード氏の素顔となると謎が多い▼地元英国でもテレビに出ず、講演もしない。出版記念会やサイン会もなし。やむなくロンドン在勤の同僚に古い記事を探してもらった▼作者はいま推定60歳。幼くして両親が離婚し、母と暮らした。4歳か5歳で画面いっぱいに人の群れを描き出す。小学校でも外遊びは好まず、「母が仕事から帰るまで放課後はずっと絵を描いた」と語った▼見開きの絵を描くのに1、2カ月を費やす。画風は精巧だが、出題はしごく単純である。「僕は作家じゃなく絵描き。見つけ出す喜びを味わってほしいだけ。僕の本を読んだ子が何かに目覚め、いきなりトルストイの『戦争と平和』へ移るなんてことは期待しません」▼児童書出版フレーベル館(東京)によると、日本語版も今年で30周年。絵や構成を改めた3巻を近く刊行する。編集段階では深山史子(みやまふみこ)さん(42)ら担当者が手分けして全問残らず解く。答えは各国出版社にも伏せられているからだ▼作品を初めて見た時、当方は正直これほどのヒットを予想できなかった。だが、ある時、腰をすえてウォーリー探しに挑んでみた。没頭するにつれ、雑念が消える。連想したのはいつか寺院で組んだ座禅のこと。だれもが忙しすぎる時代ゆえに各国で広く愛されてきたのだろう。


(天声人語)おれも浜に生きる
2017年3月5日05時00分
 真新しい防波堤に、穏やかな春の波が寄せる。6年前、東日本大震災の津波に見舞われた岩手県宮古市の日出島(ひでしま)漁港を訪ねた。漁師の父を失った佐々木朝飛(あさと)君(10)に会うためだ。小学5年生。丸顔に短い髪、快活に話す▼父と曽祖母、家を津波に奪われた。いまの思いを作文につづり、全国コンクールで最高賞に輝く。「何がおき、これからどんな日々が待っているかなんて想像することも、考えることもできなかった。あれからずっと、海へと消えてしまった父のことが思い出せずにいる」と書いた▼震災の日は幼稚園にいた。覚えているのは机の下に潜ってかじったビスコの味くらい。それが最近は急に父のことを知りたくなった。家族に思い出を尋ね、魚市場も見学した。「海の仕事がしたくて、母と一緒になりがんばってきた父」「船に乗り、生き生きと働く姿が見たかった」▼親潮と黒潮がぶつかる三陸沖は屈指の漁場である。「いつの日か、僕もその仲間に入れてもらおう(略)『おれを見ててけろな』と、海と約束した」▼失った家族とどう向き合うか。被災地の模索はなお続く。埋めようのない喪失感に苦しむ人がいれば、自ら記憶の断片を拾い集める人もいる。物心のつく前に被災した子どもたちも、家族の姿を胸に刻みたいと感じる年齢にさしかかりつつある▼震災による死者不明者は1万8千人余り。朝飛君の父、裕太(ゆうた)さんもその一人である。当時28歳。きょう5日には朝飛君も出席し、七回忌の法要が営まれる。

(天声人語)ベトナムの苦難
2017年3月4日05時00分
 詩人の錦米次郎(にしきよねじろう)は、太平洋戦争中に日本軍の兵士としてベトナムにいた。「越南は闘う」には軍の飛行場でのあわただしい作業風景がある。〈痩せた黄牛の群れ/石材運搬の幾台の大八車……きのこのように氾濫(はんらん)するすげ笠〉▼日本へと引き揚げるときの気持ちをこう書いた。〈血のようなメコンの夕焼けを/ゴム林のゴムの芽ぶきを/私は永久に記憶する〉。交流のあった女性への淡い思いもつづられている▼中国での戦争を続ける日本軍は、国民党政府への補給ルートを断つため、ベトナムを含む仏領インドシナに進駐した。日本の軍人のなかには終戦後もベトナムに残り、フランスからの独立運動に身を投じる人もいた▼ベトナム訪問中の天皇、皇后両陛下とおととい対面したグエン?ティ?スアンさんの夫も、残留日本兵だった。フランスとの戦いが終わると、彼らは帰国させられたが、妻子を連れて帰るのは許されなかった。自分を「ハルコ」と呼ぶ彼女は「もう一緒になれないとわかっていたら、絶対についていった」と最近の取材に語っている▼日本軍の駐留時代には大飢饉(ききん)が起き、おびただしい数の人が餓死した。凶作をはじめ原因は複合的だが、日本の求めによる米の強制買い付けなども事態を悪化させたと言われる。ベトナムの人びとの胸に、いまも残る悲劇であろう▼戦争で出会った人たちがいて、引き裂かれた家族がある。忘れてはいけない、見過ごしてはいけない歴史があることを両陛下の旅が教えてくれる。

(天声人語)金かコンニャクか
2017年3月3日05時00分
 賄賂(わいろ)の隠語である袖の下は、江戸川柳のからかいの対象である。〈袖の下たびかさなりてほころびる〉。賄賂が常習になって、ぼろが出たようすだろう。〈袖の上から出したので取りにくい〉。あまりの露骨さに拒むしかなかったか▼この手の話には食べ物もよく登場する。賄賂を「毒まんじゅう」と呼ぶのは、見返りを求められるのを毒に例えるからだ。英語にはスイートナー(甘味料)との隠語がある。そう言えば、ようかんと一緒の箱に入った現金を受け取った政治家もいた▼「金なのかコンニャクなのかは知らん」という鴻池祥肇(こうのいけよしただ)参院議員の発言は、しばらく耳に残りそうだ。国有地の売却問題で揺れる森友学園の籠池泰典(かごいけやすのり)理事長夫妻から「紙に入った物」を渡されて、すぐに返したという。果たして「毒コンニャク」だったのだろうか▼明るみに出た記録によると、関係する役所に働きかけてほしいとの依頼が籠池氏から何度も寄せられていた。鴻池氏は働きかけはしていないと語ったが、秘書は仲介したことを認めたという。分からない点が多すぎる▼国会では土地の売却を担った財務省がまともな説明をしようとせず、「記録は残っていない」と幹部が繰り返している。それならば担当した人たちに記憶を語ってもらわねばなるまい▼思い出すのは落語の「蒟蒻(こんにゃく)問答」である。コンニャク屋が僧になりすまし、身ぶり手ぶりで禅問答のふりをする。ぐにゃぐにゃして要領を得ない説明がこのまま続くのは、願い下げである。


(天声人語)原発避難指示の解除
2017年3月2日05時00分
 除染で削られた土だろうか、黒い袋が積み上がっている。大きなトラックがひっきりなしに行き交う。廃炉や復旧工事の作業の人たちで町内のコンビニはかなりの繁盛のようだ。福島第一原発から20キロ圏にある福島県楢葉(ならは)町を訪れた▼事故のあと避難指示が出され、長い間住むことができなかった。解除されたのが今から1年半前である。そのころ町長が「スタートラインに立ったにすぎない」と語っていた通り、道のりは険しい。町民7千人余りのうち帰還したのは1割である▼いち早く帰った一人、古市貴之(ふるいちたかゆき)さん(40)に会った。事故前に町内の障害者施設で働いていた彼は、訪問介護をするNPOを立ち上げた。障害者やお年寄りを訪ねるほか、障害のある子どもたちを預かる▼戻ったのは「意地」だという。「ふるさとがこのままでは悔しい。帰ってくる人たちを支えたい」。しかし葛藤もある。大型車両だらけで以前とは変わってしまった風景。放射線の不安も消えてはいない。「どうぞ戻ってきて、と強く言う気にはなれない」▼戻るか、戻らないか、いまは決めないか。避難指示の解除は前進ではあるが、避難先の暮らしにすでに慣れた人たちに新たな葛藤をもたらす。「福島の復興はマラソンにたとえると30キロ地点」とは今村雅弘復興相の最近の発言である。避難区域は五里霧中のコースを走り始めたばかりなのに▼この春、浪江(なみえ)町など四つの町村で避難指示が解かれる。安堵(あんど)だけでなく、不安や迷いが伴う道のりである。


(天声人語)ゆがんだ思いの果てに
2017年3月1日05時00分
「ストーカーをやめると自分のアイデンティティーが無くなる」との言葉に寒気を覚えた。一方的に恋愛感情を募らせたあげく、相手の気持ちを無視してつきまとう。ジャーナリスト田淵俊彦さんの著書『ストーカー加害者』にはそんな人たちへのインタビューがある▼女性に電話し続け、ストーカー規制法違反で有罪となった男性は「彼女を大切に思う気持ちは今も変わっていません……出来ることならもう一度だけプロポーズを」と語る。男性への嫌がらせを続けた女性は、相手への支配欲ゆえに「どん底に落としたい……叩(たた)きのめしたいんですよ」と述べる▼判決前、「真っ当な人間になりたい」と語ったのは被告の本心なのか。東京都小金井市で昨年5月、音楽活動をしていた冨田真由さんが刺されて重傷を負った事件の判決がきのうあった。岩崎友宏被告に懲役14年6カ月が言い渡された▼冨田さんは被告によるつきまといを警察に相談していたが、事件は防げなかった。「殺されるかもしれない」と伝えたのに危険性がないと判断された――。彼女の手記にある言葉を警察は改めてかみしめてほしい▼今回の事件で被告はツイッターなどで執拗(しつよう)に書き込みをしていた。その後の法改正でSNSでのつきまといにも禁止命令が出せるようになった▼思い込みがある日、暴力に変わる。誰もが加害、あるいは被害の当事者になりうることを心にとめたい。警察だけに背負わせるのでなく、行政や医療など多くの知恵が必要になる。
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